橋本裕の日記
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| 2001年10月08日(月) |
生きる糧としての農作物作り |
妻の実家が田圃を持っているので、毎年何日か妻が労働に出かける。その見返りに、一年間分の米をもらう。その米がなくなったので、新たにもらいに出かけたところ、まだ二俵も残っているので、いくらでも持っていってくれといわれたとのこと。米を買わなくてすむのはありがたいことだ。
それにしても、農業も機械化されて随分楽になった。妻の実家も義兄が公務員で、典型的な兼業農家である。というよりもほとんど農作業はしないので、農家という感じではない。それでいて、農協に毎年米を出荷して、それなりの収入を得ている。そのおこぼれを私たちももらっている。
主食である米を買わなくてもよいというのは、単なる金銭的なものではない安心感と幸福感を与えてくれる。我が家の場合、畑を借りて野菜も作っているから、食糧自給率はかなり高い。
借りている畑の地代は月2百円だというから、ほとんどただのようなものである。かなり広い土地を、多くの人が共同で借りているので、それぞれ違った作物を作って分け合ったり、知識や経験を交換できる。このあいだも隣の畑の人から無花果をもらったが、とてもおいしかった。
さて、ここから話が堅くなる。日本の農業の話である。昭和40年には約1200万人近くいた農業就業人口は、平成11年には384万人にまで減っている。その年齢別構成を見てみよう。
15〜44歳 14% 45〜54歳 12% 55〜64歳 23% 65歳〜 51%
統計で見る限り、農業従事者の過半数が65歳以上であり、高齢化現象がはっきりと現れている。今後さらにこの傾向がすすむだろう。しかしこの数字に私はそれほど危機感を抱いてはいない。農業はもう昔のような重労働ではない。高齢者や主婦が片手間に楽しみながらやることができる。こうなるともはや半分は趣味の領域である。
昔は人口の大半が農民であった。その農民が汗水働いて、ようやく国民が生きていけるだけの農作物を生産していたのである。それにくらべて、現在はほんの一握りのひとびと(総人口の3%強)が、しかも片手間仕事で必要な食料を生産している。
日本は先進国でも食糧自給率が40パーセントときわめて低い。しかし今後我が家のような「自給派」がふえれば、この数字も改善するのではないかと思われる。農業を経済活動とはとらえずに、生活の糧として身近に体験できる環境が広がっていけばよいと思う。
もともとこの国の地形は山地が多く大規模な農法に向いていない。私たちの先祖はそれほど広くもない土地を営々と守りつづけ、作物を育ててきたのである。アメリカ型の大規模農業は環境破壊を加速する。そうすると今後世界的に見た食糧需給は逼迫する可能性が高い。そのとき環境に優しいこうした身近な農作物作りが見直されるに違いない。
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