橋本裕の日記
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| 2001年09月09日(日) |
オランダの歴史(前編) |
今日と明日の二回に分けて、オランダの歴史を紹介しよう。今日はヨーロッパの辺境に位置していたオランダが、世界の中心に躍り出て、「栄光の17世紀」を築くまでの物語である。
オランダが歴史上に登場するのは、紀元前1世紀、カエサルの『ガリア戦記』だ。カエサルはゲルマン人とも何度か戦い、ケルンなどの植民市をつくった。そのなかに今のオランダやベルギーが「低地ゲルマニア」という地名で登場する。
そのころのオランダは湿地で、農業ができないので、人々は舟で北海に漕ぎ出して魚を獲って暮らしていた。文明国家であるローマ人のカエサルにとって、そこは征服するほどの魅力に乏しい土地だった。
その後、オランダ人は根気強く干拓を続け、排水と水運のための運河を作り、耕地を増やして行くが、彼らの生活の糧は、中世に入っても北海で獲れるニシンだった。そんなオランダ人を豊かな高地にすむヨーロッパ人は「ゼーゴイセン(海の乞食)」と呼んでからかった。 彼らは、航海術でバイキングに張り合い、海運と貿易に乗り出す。13世紀にフランドル地方の毛織物が交易商品の中心となると彼らの力は高まり、1437年、高地ゲルマニアの商業組織ハンザ同盟と戦って勝利を収め、以後しばらくバルト海から大西洋に至るまでの貿易を手中に収めた。
しかし15世紀になると、フランスのブルゴーニュ家の支配をうけるようになり、さらに16世紀には当時世界最強の軍事力をもつスペインのハプスブルク王家の領土となり、熱烈なカトリック信者だった国王フェリペ2世の統治下で、新教国オランダは受難の時代を迎えることになる。 旧教は教会が絶対であり、個人による聖書解釈など許されなかった。自宅で聖書を読んでいるだけで、異端とみなされ処刑された。こうしたスペインの弾圧に、1568年、総督だったオラニエ公ウィレムが立ち、独立戦争を始めた。このとき、独立軍の士気を高めるために歌われた「ウィルヘルムス」が現在のオランダ国歌である。
もっとも、オランダ軍はスペイン軍に連戦連敗、1584年にはウィレムが暗殺されてしまう。オランダの要請をうけて、イギリス女王エリザベス1世は1585年、議会の反対を押し切ってオランダ支援を決定。イギリスはスペインとの全面戦争に突入する。
1588年、スペインの無敵艦隊を英蘭海軍の連合軍が撃破したことで戦局は両国に有利にかたむいた。そして1597年にはウィレムの息子マウリッツ率いる独立軍がネーデルラントからスペイン軍を追い出し、事実上の独立を獲得する。
17世紀に入ると、新興国イギリスが世界各地でスペインと軍事衝突を繰り返し、勝利を確実にしつつあった。この間、オランダの商人たちは両国に大量の資金を融通、世界各地に商品を売りさばき、オランダは「栄光の17世紀」と呼ばれる繁栄を謳歌することになる。
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