橋本裕の日記
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オランダではどんな会社に勤務していても、一年に最低25日の休暇がとれる。これに土日をくわえれば、全部で5週間は休める。病欠は別に有給休暇が無制限にとれるので、オランダ人にとってこの5週間はまるまるバカンスのための休暇である。
日本人の場合は、正規の有給休暇でさえほとんど消化しないであくせく勤労し、そして過労や病気になって、ようやく有給休暇を、それも上司や同僚の顔色を見ながら、恐縮したようないいわけをしながら取る。病気にならないと休暇がとれないという日本は、オランダからみればまるで「開発途上国」だ。
オランダの年間の総労働時間は、90年の統計では1732時間、これに対して日本は2143時間である。もちろんこれにはサービス残業は含まれない。たとえ有給でも時間外労働はうけつけないオランダ人からすれば、日本ははるか古代の奴隷制の国だということになるかもしれない。
確かに日本経済は発展し、国民所得もあがったが、その為に失ったものも大きい。世界一金持ちの国になりながら、国民はみんな疲れていて、その上、失業や老後の心配に怯えている。首切りのことを「リストラ」などとうまいこと言うようになったと感心していたら、小泉さんが首相になってから、さらに「構造改革」という便利な言い方が一般的になった。これにはあきれた。
先日も小泉さんがテレビで、「失業率が5パーセントをこえましたね」とNHKの記者に質問されて、「民間でも構造改革が進んでいるようですね」と満足そうに答えていた。他の大臣は対策について質問されて、「自己責任が大切です」としか答えない。
ちなみに、民間で進んでいる「構造改革」の一端を紹介しよう。東芝の約2万人、富士通の1万6千人、松下の5千人、NECの4千人と、この4社だけでも約4万5千人が社を去ることとなる。人数は明らかではないが、ソニーも工場の縮小に伴いリストラが行われる。日本を代表する優秀なIT産業でさえこのありさまである。
これからホームレスがますます増えるだろう。いや、私自身バブルの最中に家を買って、多額の住宅ローンをかかえている。この先「自己破産」して、一家でホームレスの仲間入りということになるかもしれない。
オランダはホームレスが一人もいない世界でも珍しい国だそうだ。倉橋さんは「物語オランダ人」の中で「私はオランダに12年間暮らしましたが、乞食の姿を見たのはただの一度もありませんでした」と書いている。法律の規制があって、乞食やホームレスが合法的に存在できないらしい。
フランスやベルギーにも同様な法規制があるが、ホームレスは存在する。それは社会福祉制度がオランダほど完璧ではなく、「生活が出来ない」という言い逃れができるためだ。この点、オランダはどうにも言い逃れが出来ないほど完全なしくみになっている。
たとえばオランダでは延べ床面積が130平方メートルのごく標準的な家が、30代のサラリーマンの平均年収の3年分で買えるという。ローンの負担は月収の15パーセント以下だ。しかも利息は30年間税金が控除されるという。オランダの家は100年はもつというから、庶民が家をもつ負担は少なく、ローン地獄とは無縁の世界だ。だからオランダ人は30歳になるかならないかのうちに家が持てる。
こうした理想的な住宅政策にくわえて、「ワークシェアリング」政策で失業率が3パーセントに満たない。この3パーセントという数字は、のんびりと次の職を物色中の人数がこれだけいるということで、ほぼ完全雇用に近い水準だという。強力な政策によって、失業やホームレスがありえない社会システムが実現しているのである。
オランダでは家が安いが車は高い。購買力平均で計算すると、日本のカローラクラスの値段が約400万円もする。これはオランダ政府が地球温暖化対策のためにとんでもない税金を掛けて、車を購入させないようにしているからだ。オランダだけが頑張っても仕方がない気がするが、オランダ人はそう考えない。必要なことは、たとえ少数者でも、断固やり抜く生活哲学をもっている。
オランダを訪れた人は、国中がまるで国立公園のようだと、その美しさに感心するらしい。アムステルダムの市内に住んでいても、自転車で20分も走れば田園風景がひらける。コンクリート舗装など一切無縁のアムステル川の土手に腰を下ろせば、手の届きそうな目の前を白鳥やほかの水鳥が泳いでいく。川の背後には牧草地が広がり、牛が悠々と草をはんでいる。
「田園風景をさらにきれいにしているのが、送電線が露出していないことです。どんな田舎でもオランダでは送電線が全て土中に埋設されており、それができる豊かさを羨むと同時にそれをする心のゆとりに脱帽します。豊かであっても金をそのような事に使わない国・国民が世の中に多いからです」(「物語オランダ人」倉部誠)
もっとも、こんな理想的な国にも泣き所はある。オランダ人の病気欠勤率が6.9パーセント(単純労働作業では10パーセント)と異常に高いのである。オランダでは「病欠」の場合、医者の診断書は必要でない。そして労働者保護が徹底しているので、「いったん病気になった人間はいかなる理由があろうとも解雇できない」のだという。
その結果、会社を病気で長期に欠勤しながらスキーに遊びに行く者もでてくる。倉部さんの経験によれば、同じ職場で2年半も会社を「病欠」しながら、その間サイドビジネスで稼いでいた男もいたという。彼は給料をただ取りし、その間アルバイトで余計に稼いだあげく、退職金までせしめたらしい。まさに彼は笑いがとまらないだろう。
オランダの社会民主的な労働システムではこうしたことが防げない。そしてどんな職場にも1割はこうした不届きな怠け者がいる。だから、会社はその分を予想して、一割り増しの雇用をあらかじめ確保しておかなければならない。それでも倉橋さんは「オランダ人は世界一勤勉な国民だ」と言う。
「明日から急に働く気がしなくなり、病気だからと言って会社を休み、本人がその気ならばそれを1年はおろか2年、3年も続けられ、給料はその間ほとんど変わらずに支給され続けられる。そしてめでたく病気が全快したら就職探しには困らないとしたら、一体どれだけの人間がまじめに働き続けるでしょう」(「物語オランダ人」)
「オランダ人たちはそのような天国のような恵まれた環境にあって、なおかつ多数派は依然として働き続けています。たかが全体の10パーセント近くがそうした過保護の恩恵をフルに利用して怠けているからと言って、そう目くじらを立てるものではありません。むしろそのような中にあってなお、90パーセント近くの人たちがまじめに働いている事実を驚嘆すべきなのです」(同上)
たしかに、これは驚くべき勤勉さである。日本人だったら、この数字は逆転するのではないだろうか。倉橋さんはオランダの会社で一緒に勤めていた日本人同僚の仕事ぶりを見て、「勤勉な日本人」というのが、全くの妄想にしか過ぎなないことをさんざん思い知らされたという。
日本の勤勉さは、強制されたみせかけの勤勉さであり、オランダ人の勤勉さは内面的に確立された勤勉さである。だから、日本人は命令や強制がなくなるととたんにだらしなくなる。オランダ人は自主性を尊重する教育を受けていた。そして学校や家庭で、強制されたり叱れれたことがない。だから日本人とは逆に、強制されなくても、その仕事が大切だと思ったら、自主的にやり遂げるのである。
他人がどうであると言うことは、あまり関心がないので、さぼっている同僚をとくに非難しない。たとえ不利益になっても、自分が正しいことはやり通すというオランダ人の個人主義が、こうした理想的な社会システムを支えている。
こうして見てみると、社会を支えるのは一人一人の個人であり、どんなに素晴らしいシステムも、こうした卓越した個人の力量がなければ、それはまともに機能できないことがわかる。「生活大国」オランダは、このようにしっかりした生活哲学をもった個人の協力と参加によって実現されている。なぜオランダが社会教育を重視するのか、それはこの楽園のような国を子孫に残し、世界の模範の一つとしたいからだろう。
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