橋本裕の日記
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2001年08月29日(水) オランダの実践教育

 日本では誕生日になると、友人たちが当人にプレゼントするというのがよくみられる光景だが、オランダの場合、全くあべこべで、誕生日には当人が友人たちにケーキをご馳走するのだという。学校であれば前日に家で焼いたケーキを持っていく。職場なら菓子屋に注文して置いて、それを当日に職場の全員に振る舞うことが多い。

 どうして日本とあべこべになるのかよくわからないが、誕生日はお祝いをされる日ではなく、こちらからお礼を言う「感謝の日」だと考えれば、説明がつかぬこともない。「おかげで20歳になりました。みなさん、どうもありがとう。お礼のしるしにケーキを焼きました。どうか召し上がって下さい」という訳である。

 オランダの教育について書こうとして、誕生日の話が思い浮かんだのだが、教育についても何か日本とは根本的に違った姿勢を感じる。その一つは、昨日も書いた「社会参加型の教育」が実践されているということだろう。このことをもう少し一般的にとらえれば、オランダの教育は「自立と利他」という、はっきりした理念や目標のもとに行われているということだ。

 たとえばオランダの小学校では必ず水泳の授業がある。しかも服を着たまま水に入る。プールサイドから後ろ向きに服を着たまま落ちたりする。こうしたことは、実際に起こりうる水難事故を予想してのことである。運河の多いオランダならではの授業ともいえるが、やはりこれもオランダ的実践教育の一貫だろう。

 オランダの教育が実践的だということは、教育課程からも明らかである。そこでオランダの学制を紹介しておこう。

�ヾ霑旦軌蕁複固�間、4歳〜12歳)は日本の幼稚園に当たる2年間と小学校6年間を併せたもの。最初の1年間(4歳)は義務教育に含まれないが、多くの場合4歳から始める。

 ��中等教育(4〜6年間、13歳〜18歳)はいくつかのコースに分かれている。初等教育最終学年時点で多くの学校で実施される全国共通学力テストの結果と普段の成績をもとにして、本人と保護者と学校側の三者が相談の上、どのコースに進むか決める。

・ 初等職業教育コース(4年制)
・ 中等一般教育コース(4年制)→中等職業学校(警察官、美容師)
・高等一般教育コース(5年制)→高等職業学校(教員、技術者)
・ 大学進学コース(6年制)→�9眦�教育(大学→大学院)
 
 多くの場合、何種類かのコースを置く総合学校となっていて、最初の1年あるいは2年間の基礎期間を経てから改めて進路を決める場合が多い。場合によっては学校を変わることもできる。

 どのコースも最初の4年間は義務教育で、18歳までは就労していても、週当り決められた時間、何らかの形で教育(講習)を受けることが義務づけられている。

 一般的には、「中等一般教育」を選択して、「中等職業学校」に進み警察官、看護婦、美容師などの資格を得て社会人になるケースが多い。「高等一般教育」を終了して「高等職業学校」に進み、小学校教師、上級看護婦、技術者の資格を得て社会人になる場合もある。

 6年制の「大学進学コース」を終了し試験を通ると、大学入学資格が与えられる。コースも最終試験は全国共通の国家試験で、各学校が独自に実施する卒業試験ではない。

 オランダの場合は、日本のような過度の学歴偏重の傾向はなく、どちらかと言えば職業重視の実践指向である。総人口に占める大学卒業者の割合は、日本が9.5パーセントもあるのに対して、オランダは4.8パーセントと低い。教育ママに尻を叩かれて、大学に進学するということは、まったくない。日本と違って、親や教師は子供の意志を最大限尊重する。進路選択においてもこのことが言える。

  しかし、職業等の資格(ディプロマ)取得によって職種や給与が違ってくるため、社会に出てからも、更に他の資格を得るために講習を受けたり夜間学校へ通う例が少なくない。国家や企業がこうした職業教育に熱心だということもあるが、やはり個人個人の職業人としての意識レベルが高いのだろう。

 オランダは子供の自主性を重んじる教育をしている。勉強はあくまで個人の意志でするもので、強制されてするものではないと考えられている。その結果、本人の努力次第で、大きな差が生まれる。小学校の同じ学年で、二桁のかけ算が出来ない子供がいるかと思えば、分数計算がすらすら出来る子もいる。出来る子はどんどん高度な教材を与えて、上級の課程に進ませる。

 オランダの教師はけっして出来ないこの尻を叩いて、クラス全体のレベルをあげようとはしない。出来ない子と出来る子がいて当たり前だと考えるからだ。もし出来ない子を叱りつけたりしたら、人権蹂躙ということで、教師失格とみなされる。

 学力の優劣で人を差別することは、オランダでは許されない。勉強が出来ないことは、運動が出来ないのと同様、一つの個性であり、決して「犯罪」ではない。だからオランダの教師は決して叱らないのだという。同様のことはオランダの親にも言える。オランダの親も、ほとんど子供を叱らない。ただよいところを誉めることに忙しい。

 日本では認められない考え方かも知れないが、オランダはこうした方針で成功している。最終的には有能な職業人を育てているし、大学、大学院レベルの学力は、日本と比較にならないほど優秀だ。社会人としても有能で、地域社会や国際社会に対して、積極的に発言し関わろうとする。その貢献度は世界でトップレベルである。

 オランダ在住が長い倉部誠さんは「物語オランダ人」の中で、「南海の孤島で世界各国の子供たちが遭難し、サバイバルをすることになったとしたら、何もできずに真っ先に飢え死にするのは日本の子供たちで、最後まで頑張って生き延びる中には間違いなくオランダの子供たちがはいるでしょう」と書いている。

 こうしてみると、日本の教育システムには何か根本的な欠陥があると言わなければならない。長坂さんは「オランダモデル」で「日本では社会教育がほとんどおこなわれていない。・・・日本の子供たちにとって最も不幸なことは『世界』や『社会』から隔離されていることではないか」と書いている。『世界』や『社会』から隔離されているのは子供ばかりではない。大人の日本人も同様である。

 姉妹都市提携が活発なのは、オランダも日本もかわらない。しかしオランダ人に言わせると、何故日本が先進国とばかり提携したがるのかわからないという。それでは、メリットがないではないかと言う。オランダが姉妹都市を結ぶのは、それによって相手国の為に何か援助が出来ると考えるからだ。だから、むしろ発展途上国との交流に力を入れる。

 日本は姉妹都市提携によって自分が得られる利益を重視する。そこで文化の進んだ国と提携しようとするのだろう。日本の発想はどちらかというと、未だに「発展途上国」なみとしか言いようがない。高所に立って「与える」という「先進国的」発想にも問題があろうが、いつまでも自己中心的な貧乏人の発想が抜けきらないのも見苦しい。

 このことは教育問題についてもあてはまるのではないか。日本では高等教育教育は個人の利益や栄達のための手段としか考えられていない。しかしこうした日本の常識が世界の常識だとは言えない。そうした自己中心性に囚われていると、ますます「世界」や「社会」から遠くなる。

 オランダの教育にあって、日本の教育にないもの何だろう。それは「この困難な人生を、他の人々とともに手を携えて、いかに幸福に生きるか。そのために、我々は何をなすべきか」という、人生や社会に対する実践的な視点ではないか。こうした視点を、まず親や教師がしっかりともつ必要がある。
 
(参考)「物語オランダ人」(倉部誠、文春新書、2001年刊)


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