橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
| 2001年08月22日(水) |
ライオンとシマウマの共生 |
「共生」というのはもともと生物学の言葉である。たとえば「花と蝶」「やどかりとイソギンチャク」などがそうである。花は蝶に蜜を与え、蝶は花の受粉をたすける。こうしてお互いに助け合って生きているわけで、まさしく「共生」という言葉がぴったりする。そこで、私はこれを「仲良し共生」もしくは「親和的共生」と呼んでいる。
それでは、ライオンとシマウマはどうだろうか。この両者は食物連鎖を構成しており、生物学ではこれを「補食関係」とよぶ。ライオンにとってシマウマは餌であり、シマウマにとってライオンは身を守らなければならない恐るべき敵である。
しかし、シマウマのいるところライオンがおり、ライオンがいるところシマウマがいる。ライオンはシマウマを餌にしているが、決してこれを根絶やしにしたりしない。ただ必要な最小限を餌として殺すのである。そうしなければ、ライオン自身全滅してしまう。
ライオンとシマウマはこうした補食関係のなかで切磋琢磨し、それぞれの能力を磨いた。狩りの能力が低いライオンや足の遅いシマウマは自然淘汰され、こうした競争関係の中で、それぞれの種が見事に進化した。だからこの両者もまた長い目で見れば「共生」しているのである。私はこうした敵対的・対立的な共生関係を「競争的共生」と呼ぶ。
「競争的共生」とは「生存競争」をふくむ「共生」である。しかしこの場合も、互いに創意と工夫を凝らして自己の利益を追求しながら、相手を排除することなく、むしろ相手と共生することで、自己の生存を確保しようとする。生物社会では「競争」もまた大きく「共生」のなかに包摂されている。
共生は仲良く助け合って生きることを必ずしも意味しない。味方といっても常に利害が一致するとは限らず、多くの場合は弱肉強食の熾烈な生存闘争を伴っている。共生関係は、互いに利害が対立することもある微妙な均衡の上に成立している。
このように異質なものと共存するための概念が「共生」である。そして、一見敵対関係のように見えるものも、よく観察すればその根底にあるのは「共生関係」である。生物社会では、強いものが生き残り、弱いものは廃れるという考え方は成り立たない。対立する一方が、他方を駆逐する形で決着することがないからである。
人間社会が生物世界とちがっているのは、「弱肉強食」が文字通りの「弱肉強食」になりうることだ。それはすなわち「強いものが生き残り、弱いものは亡びる」ことを意味している。
岸田秀さん流に言えば、こうした競争万能の考え方が幅を利かせるのは、「人間は共生本能が壊れた動物」だからだろう。本能が壊れた以上、私たちはこれを理性で補わなければならない。「共生の思想」が重視されなければならない所以である。
|