橋本裕の日記
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「福翁自伝」は私の愛読書だが、そのなかに、福沢諭吉がチェンバーの「経済学」を訳したときの逸話が書かれている。本の目次にコンペティションという単語があって、諭吉がそれを「競争」と訳して幕府の翻訳方に提出した。
ところが幕府の役人は「競争」という言葉が気に入らない。「ヨーロッパというのは、怖いところだな。ともかく、争いというのは穏やかではない。これでは上司に見せるわけにはいかない」という。
諭吉は例を挙げて説明する。二つの店があるとする。そうすると、客はよいものを安く売る店で買おうとする。そこで店の方はお互いに負けまいとしてがんばる。これが競争だ。この競争によって、経済が発展する。
しかし、幕府の役人には、「競争によってものごとが発展する」という考え方が理解できない。「何事であれ、争いはよくない。人の和が大切だ」という訳で、諭吉も最後は匙を投げて、「コンペティション」の項目は削って、上司に差し出したという。
資本主義社会では、人々はお互いに競争をして、競争に勝った者が生き残っていく。そしてその競争は、かならずしも武力ではなく、知識や知恵の優劣を競う戦いである。このことに気付いた諭吉は「学問のすすめ」を書いて、人々を啓蒙した。
福沢諭吉にとってヨーロッパ流の近代合理主義こそ、日本が早急に学ぶべきものだった。上に立つ者が封建的道徳を説くのは、彼らがその地位を維持するのに都合がいいだけで、それでは一般大衆は浮かばれないし、社会は発展しない。国民に「独立自尊」の気構えがなければ、西洋列強の前に蹂躙されて、植民地になるだけである。
こうした認識が、諭吉を西洋の「近代主義」に駆り立て、そして最後には大陸侵略を肯定する「国家主義」にまで近づけた。しかし、「福翁自伝」には「私がこれまで説いてきたのは、ただ国民の心を上品にすることが目的です」という言葉もある。
「独立自尊」を説いた福沢が「弱肉強食」を是とする単なる「近代主義者」でないことは言うまでもないが、彼の中で近代主義の限界がどのように認識されていたのだろうか。「競争」を尊ぶ精神と「心の上品さ」をどう両立させるか、現代に生きる私たちの課題でもある。
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