橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2001年08月20日(月) 「無用の用」の経済

 江戸時代、たくさんの籠かき人足がいた。平安時代から牛車というものがありながら、なぜ日本は車輪を使った乗り物が発達しなかったのだろう。牛車はともかく、馬車に比べれば、籠ははるかに非効率的である。

 効率が悪いと言えば、刀がそうである。すでに戦国時代に、我が国は世界一の鉄砲の生産国であり、所有国だった。それがあっさり鉄砲を棄てて、刀に戻った。

 こうしたことから言えることは、江戸時代の日本はあまり効率を重んじない社会だったということだろう。しかし、これは必ずしも非難されるべきことではない。江戸時代の250年間、日本人は戦争を経験しなかった。これは平安時代の350年間につぐ記録である。おそらく、世界的にも珍しいことだ。

 このころ世界が人間の生存にとってどれほど過酷な時代であったか、一つだけ例を引いておこう。明治大学の入江隆則教授は西欧の近代主義を批判して、次のように書いている。

「スペイン人が現れる前には、中央アメリカの推定人口は7千万人から9千万人はいたとされているが、私がすでに書いたようにスペイン人の侵入のわずか一世紀後には、350万人に激減している。またこれも推定であるが、3千万人から6千万人に及ぶ黒人奴隷がアフリカからアメリカ大陸に連れ去られ、その三分の二が航海途上で死亡して、大西洋に捨てられたといわれている」

 江戸時代の日本の人口は3000万人である。これは当時のヨーロッパの人口に匹敵する。江戸の100万という人口はもちろん世界一だ。これだけの大都市でありながら、衛生環境の悪化も見られなかった。治安がよかったこと、識字率が高かったことも世界に例を見なかった。

 衛生環境について言えば、江戸の長屋には共同の便所があったが、屎尿は大家が農家に売っていた。その代金が家賃よりも高かった。このように、江戸をはじめ日本の町はどこも屎尿を土に返して、物質循環という大きな自然のしくみの中で生産活動を行っていた。100万都市の江戸を筆頭に他の都市でも、衛生的な生活環境が実現され、様々な生物が棲むことができる緑が豊かに残っていた。

 ペリーが来航したとき船の甲板やマストには人間を恐れない鳥たちがたくさんやってきた。それを船員たちが鉄砲で撃つのを見て日本人は驚いたという。当時日本では、鳥や獣をとることが禁止されていた。幕府はこの報を聞いて、日米和親条約の付則に「鳥獣遊猟は禁じられている。アメリカ人もこれに服すべし」とつけ加えたという。

 江戸はこうした世界もうらやむような「自然と人間の共生社会」だった。その上、経済的にもそこそこ繁栄していた。それでは江戸の豊かさはどうして可能になったのか。最近の研究では、それは実は江戸時代はみかけほど効率の悪い世界ではなかったということが言われている。一部だけ取り出せば非効率に見えることが、社会全体で考えると、見事に効率化された社会だということがわかってきた。

 たとえば籠かきを例に取ると、これによってかなりの労働力を吸収し、人々に生活の糧を提供することができた。これは武士階級にもいえることで、たとえば江戸の町には北町奉行と南町奉行があったが、これは地域の分担ではなく、ペアで月々交代で仕事をしていた。つまり少ない仕事をワークシェアリングすることで、失業を防いでいたのである。

 現代人の我々は、そしてとくに日本人は資本主義市場の競争原理に飼い慣らされ、いつの間にか洗脳されている。そして無駄を省き、コストを削減し、効率化をはかることが善だと思っている。しかし、ほんらい文化とは、大いなる無駄を作り出す営みなのだ。それは無用のようでいて、本当のところ無用とはいえない。人間と人間、人間と自然がお互いに支え合い、共生するための知恵であり、仕組みである。

 江戸時代は人類史上まれにみるほど成熟した「共生社会」だった。そして彼らは無駄を作り、非効率を作っていた。そのことが人間がしあわせに生きるために必要なことだと知っていたからである。こうした江戸時代の人々がゆたかに持っていた「共生生活」の知恵を、私たちは虚心に学ぶべきだろう。

(参考サイト) http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog024.html




橋本裕 |MAILHomePage

My追加