橋本裕の日記
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2001年08月10日(金) 森と人間の共生

 一昨日、妻と二人で越前海岸へ海水浴に行った。途中、北陸道を走ったが、山の緑が目に染みて美しかった。梅原猛さんが「日本が誇れるものがあるとしたら、それは天皇制でも、経済力でもなく、国土の67パーセントを占める森林である」(「森の思想が人類を救う」小学館)と書いているが、その通りだと思った。

 日本にこれだけの森林が残ったのは、狩猟採取を生業とする縄文時代が長く続き、農耕文明の始まりが遅かったこと、しかも牧畜が伴わなかったので、その分自然破壊が遅れたためである。世界の四大文明の発祥地では農耕・牧畜文明が早くから栄え、いちはやく森林が姿を消した。

 農耕文明が起こる以前、世界は森に覆われていた。人間は森の中で、自然の一部として、つつましく生活していた。森林やそこに生きる動物は生きる糧そのものであり、同時に信仰の対象だった。人間は樹木に神を感じ、蛇やキツネや熊などの動物さえも神の化身だった。

 農耕が始まると、人間は森林を切り開き、そこに棲む生き物のすみかを奪った。こうして人間は自己の力に目覚め、森林や動物たちは崇拝の対象ではなくなり、征服・支配の対象になった。こうして多くの神が亡びていった。人間の自然支配が進むに連れて、人々の信仰は多神教から、一神教へ、そしてその神も人格神に近づいた。

 今から5千年前にメソポタミアに生まれたシュメールは、最初の都市文明だと言われている。そしてシュメールの最初の王であるギルガメシュが最初にしたことは、森の神フンババの殺戮だったことが、世界最古の文学作品といわれる叙事詩「ギルガメシュ」に書かれている。

「エンキドゥの言葉に力を取り戻したギルガメシュは、巨大なフンババに立ち向かった。二人は素早く飛び回りながら、フンババの頭に打撃を与える。二人の大地を蹴る衝撃によってヘルモンとレバノンの地が裂け、空は黒くなり、死が霧のように彼らに降り注いだ。戦いのさなか、ギルガメシュは太陽神シャマシュに加護を願う。その祈りに応じて、シャマシュ神は十三の激しい嵐を巻き起こしてフンババの顔面に投げつけた。フンババは視界を遮られ、進むことも退くことも出来なくなった。そこへギルガメシュのクリティカル・ヒットが決まり、フンババは崩れ落ちた」(「ギルガメシュ第5章」)

 日本の神話にも同じような話がある。下界に下ったスサノオはオオケツヒメに食べ物を所望した。ところが、オオケツヒメは、鼻や口や尻から食物を出して饗宴したので、スサノオは怒ってヒメを殺してしまった。という古事記の記述がそうである。

 ここでスサノオをギルガメシュに、森の神フンババをオオケツヒメに比定することができる。オオケツヒメがスサノヲに出した食物というのは、狩猟で得られる森の木の実や小動物の肉だったのだろう。スサノヲはそれに満足できなかった。

 オオケツヒメの殺戮は、森の破壊と死を意味する。そうすると、オオケツヒメヒメの死体から、稲や小豆や麦が生じたということの意味がよくわかる。森が亡びたあとに田畑が作られて、やがてそこから夥しい農作物が得られるようになったということだろう。

 ギルガメシュの創立したシュメールは自然破壊によって亡びた。後に残されたのは、砂漠と石と粘土から出来た遺跡である。さいわい、日本にはまだ森林が残っている。そして人々の心の中には自然を崇拝する多神教的な伝統が生きている。自然との共生を願う「森の信仰」が残っている間、日本はまだ大丈夫だろう。


橋本裕 |MAILHomePage

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