橋本裕の日記
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2001年08月09日(木) 共生なき世界の悲劇

 世界七不思議のひとつに、イースター島の巨石人像モアイがある。イースター島(チリ)は南アメリカから3747kmも離れたところにある。人が住んでいる一番近いピテカーン島までですら2250kmもある。「世界で一番遠い島」と言われるゆえんである。

 この絶海の孤島に巨石人像モアイが約1,000体もある。モアイを作ったイースター島の先住民はポリネシア人で、450〜690年ころタヒチから移り住んだと言われている。しかしモアイの顔は鼻筋が通っていて長く、目が窪み、唇は薄く、とてもポリネシア系には見えない。その表情はどれも苦渋に満ちて悲劇的に見える。

 彼らは700年頃には石像を祭り始め、その後、神化された先祖がモアイの形で祭られるようになったらしい。モアイは島の内陸を向けて建てられていた。最大のものは、長さ20m、重さ100トン以上になる。

 人類学者トール・ヘイエルダー博士によると、一体を彫るのに、平均して7mある像を完成するには12カ月から15カ月はかかるだろうという。 さらに山で彫った巨石を、海岸まで運んでアフという社の上に立てた。かつてはほとんどの像の上に赤い石の帽子が乗っていた。これをどのようにして乗せたのか。この島の伝承らしきものを木の板に彫り込んだ象形文字「ロンゴロンゴ」の木片がわずかに残されているが、その数が少なくて解読は不可能だという。

 1772年,イースター島を最初に発見したオランダ人の船長,ロックヘフェーンは島の人口を約4000人と指定している。イースター島という名前は,ロックヘフェーンがイースター(復活祭)の日曜日に上陸したことからつけた。

 2年後の1774年にクックが島を訪れ、モアイを見て、「力学的知識が全くないこの島民達がどうやってこんなとほうもない石像を立て、そのあとで大きな円筒状の石を頭にのせることができたのか、私たちには想像もつかない」と記している。しかし彼は島の人口を700〜900人と推定した。わずか数年間で、人口は急激に減ってしまっている。

 人口の急激な現象は、人口増加に伴う自然破壊と食料不足、それによって部族間の争いが絶えなくなったためだと考えられている。彼らは敵の部族の守り神であるモアイを倒し、土台である墓地のアフまでが破壊した。これが「フリモアイ(FURIMOAI)」と呼ばれるモアイ倒し戦争である。

 彼らは最終的には、人間を食べるまで至ったことが、地層から武器やバラバラに砕かれた人の骨が発掘されていることからわかる。そして、滅びる最後の最後まで石像を彫り続けた。石切場に残された製作途中の石像がそれを物語っている。こうしてイースター島の文明は完全に亡びてしまった。あとに残されたのは地面にうつぶせに倒された無数の石像だけの、ほぼ無人の島になってしまったのである。

 これまで地球上で多くの文明が起こり、そして亡びた。イースター島の文明もそのなかの一つに過ぎないが、外界と全く隔絶された社会であったこと、そしてモアイという象徴的遺跡を残したことで、そこで演じられた悲劇とはどんなものであったのか、人類の文明の現在と未来を考える上で、絶好の研究材料を提供している。

「自ら滅びた文明」の特徴として、次の4つが上げられる。
(1)人口の急激な増加
(2)自然破壊
(3)貧富の差(階級制度)
(4)巨大な建造物

「滅びない文明」の特徴はこれの逆で、一口に言うならば「自然と人間、人間と人間の共生」を重んじる循環型社会だということができる。アイヌなどの先住民族や、かってのアジアの循環型社会がその好例ではないだろうか。

 巨人石像群を残して亡びていったイースター島の先住民の悲劇を、私たちはよそ事のように眺めていられない。人口増加と自然破壊、戦争や巨大な建造物は私たちの文明の特徴でもある。ミクロコスモスとしての島の歴史は、民族、国家、ひいては地球の将来を暗示している。


橋本裕 |MAILHomePage

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