橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
ダーウインは突然変異によって発生した個体が他者と比較して、生存するための優位性を持っている場合に競争に勝ち残り、その反面、生存競争に敗れたものは死滅すると考えた。
つまり、突然変異と自然選択によって多様な種が形成されるわけだ。生物の多様性がこうした「進化」によってもたらされたことは、今や常識になっている。しかし、それを証明する化石等の証拠は今のところ得られていない。
ダーウインの進化論は「自然淘汰説」「適者生存説」などと呼ばれるが、この考え方は、経済学者のマルサスが「人口論」で述べた考え方に近い。マルサスは「人口論」で、「人口の増加は等比級数的であるのに対し、食料の生産は等差級数的にしか伸びないから、一部の人間の貧乏・飢餓は一種の自然現象として不可避である」と主張し、適者生存、自然淘汰(自然選択)を社会理論として唱えた。
資本主義が勃興し始めていた当時のヨーロッパには、この考え方は非常に説得力があった。こうした社会背景があって、ダーウインの進化論を唯一の真理のように流布させたのだろう。そして、この近代主義の思想は現代でも連綿と続いている。
私は生物の多様な進化をもたらした原動力は「競争」ではなしに、「遊び」だと考えている。この考えはホイジンガーの名著「ホモ・ルーデンス」に学んだものだが、学問や芸術に限らず、経済活動においても創造的進化の背後には「遊び」や「自由」の領域が重要な位置をしめているのではないかと思う。
この「遊び」という言葉を、もう少し学問的に表現すると「共生」ということになるのだろう。創造的進化は「競争」によってではなく、「共生」によってもたらされるという考え方である。
その代表は今西氏の「棲み分け理論」である。ある種から新しい種が生まれても、従来種は駆逐されることなく、新しい種と共存していく。唯一絶対の「環境世界」があるのではなく、種の多様化が環境の重層的多様化を生む。そのなかで多様な種が共存共栄する世界が実現すると考えるのである。
ダーウィンの進化理論が競争原理に基づいているのに対して、今西氏のそれは共生原理に基づいている。我々の棲む生物的自然が競争の場でなくて、種社会の平和共存する場であるという考え方は、きわめて東洋的であり、前近代的である。
しかし、現代にもとめられているのは、「我々の棲む社会は弱肉強食の競争の場ではなく、各人が共存共栄するくつろぎと楽しみの世界である」という、多神教的な包容力のある思想ではないだろうか。
|