橋本裕の日記
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2001年07月28日(土) 恵信尼の手紙

 親鸞が20年間修行した比叡山を下りて、京の六角堂にこもったのが29歳のときだった。95日目に彼は夢を見るわけだが、今日はその夢の内容について、もう少し詳しくかいてみよう。「親鸞夢記」から、引用する。

「行者宿報にてたとい女犯すともわれ玉女の身となりて犯せられむ 一生の間よく荘厳して臨終に引導して極楽に生ぜしめむ」

 29歳の親鸞にとって、性欲と求道心の葛藤は最大の悩みだったのではないか。修行を続けようにも、この身内からあふれてくるものを否定することができない。罪悪感にまみれ、打ちのめされていた彼に、「たとえあなたが女を犯したとしても、それは私の化身だと思いなさい。私があなたを極楽に導いて上げます」という観音の言葉ほどありがたいものはない。

 この観音の言葉に従って、彼は他力念仏を説く法然のもとにおもむき、その後、流罪の地で彼は恵信尼と結婚する。日本で初めて公然と結婚した僧となるわけだが、六角堂の夢を信じていた親鸞にとって、恵信尼は文字通り「観音様の化身」だったようだ。

 親鸞が京都で90歳で死んだとき、恵信尼は越後にいた。末娘覚信尼から父の臨終の様子を報せる手紙が届き、恵信尼はただちに返信をする。それが「恵信尼消息」として後世に残っているが、その消息にも、「九十五日目のあか月 聖徳太子の文を結びて、示現にあづからせたまひて候ひければ」と親鸞の六角堂の体験が記されている。

 彼女はさらに親鸞の「上人のわたらせたまわんところには人はいかにも申せたとひ悪道(地獄)にわたらせたまふべしと申すとも世々生々にも迷ひければこそありけめとまで思ひまゐらする身なれば」と、他力念仏によって法然上人と共に地獄に落ちても後悔しないと言いきる親鸞の決意を伝えている。

 恵信尼消息は親鸞の自力から他力への回心の様子を生き生きと記している。親鸞は手紙で、妻の恵信尼のことを観音菩薩と書いているが、妻の恵信尼も親鸞のことを観音菩薩と呼んでいる。

 親鸞と恵信尼にとって夫婦とはそのように神聖なちぎりであった。恵信尼が親鸞の死の報せを聞いて、娘に伝えたかったことは、そのような人間の神聖な愛の在り方であり、信仰の美しさではなかったかと思われる。


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