橋本裕の日記
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2001年07月26日(木) 六角堂、等持院、嵐山

「花月」という宿から歩いて数分のところに、用明天皇2年(587)に聖徳太子が創建したという「六角堂」があった。本堂が宝形造の六角堂であることから、一般に六角堂の名で呼ばれるが、正しくは紫雲山頂法寺といらしい。小さなこじんまりとした町中の寺で、隣の池坊ビルに登ると、ビルに囲まれた境内と本堂の六角の屋根がすっかり見下ろせた。

 伝説では四天王寺を造営するため建材を求めて、聖徳太子がこの地の池で沐浴をしたところ、如意輪観音が夢に現れ、この地に寺の創建を求めたという。寺務所は池坊とよぱれ、僧たちが太子沐浴の泉と伝える池の傍に堂を営み、朝夕仏前に花を供えた。これが今日の華道のはじまりとされ、池坊流の起源だという。

 本堂の敷石中央には、へそ石と呼ばれる中央に穴のあいた石がある。延暦13年(794)の平安京造営の際、六角堂が道のまん中になるため、六角堂は自ら北に16mほど動いて、その後に礎石が残ったという。古くから、この石(要石)が京の都の中心とされていた。

 建仁元年(1201)には、若い親驚が百日間叡山より毎夜当寺に通ったという。95日目に夢の中に本尊の観音が現れた。「法然のもとへいくがよい」という観音の本尊の言葉を聞いて、親鸞は法然のもとへ行き、のちに浄土真宗を開創することになったという。このあたりのことを、親鸞は「「九十五日目のあか月聖徳太子の文を結びて、示現にあづからせたまひて候ひければ」と消息に記している。

 六角堂を出た後、近所の喫茶店(いのだコーヒー)でコーヒーを飲み、タクシーで等持院へ向かった。この寺は足利尊氏が夢相国師を招いて創建した寺で、禅宗十刹の筆頭寺院だという。門を入ったところで、ちょんまげに羽織袴、脇差し姿の武士数名と出会った。たまたま、テレビの「水戸黄門」のロケをしている最中だという。

 夢相国師作の庭園は三大名園の一つと言われるだけあって美しかった。ゆっくり鑑賞した後、本堂の前に回ると、ロケが終わったところで、黄門役の石坂浩二が他の俳優さんと一緒に弁当を広げてお茶を飲んでいるところだった。私たちも空腹を覚え、嵐山へ行って、ウナギを食べることにした。昨日はそう言えば「丑の日」だった。


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