橋本裕の日記
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| 2001年07月14日(土) |
円周率に見る数学の歴史(8) |
πという記号は、ギリシア語で円周をあらわす言葉の頭文字をとったもので、円周率の記号πを最初につかったのは、イギリスの数学者ウィリアム・ジョーンズといわれるが、広くつかわれるようになったのは、レオンハント・オイラーが1748年に「無限解析序論」という書物の中でつかって以来である。
さて、円周率πを小数点以下60桁までをしめすと、3 .1415926535 8979323846 2643383279 5028841971 6939937510 5820974944… となる。 (産医師、異国に向かう。産後薬なく、産児、御社に虫燦々、闇に鳴く頃にや、早う行くな)と中学生の頃の私は円周率を40桁まで覚えて得意になっていたものだ。
πとは円の円周と直径の比だが、半径1の円の面積だと言ってもよい。面積が2の正方形の一辺の長さが、無理数の√2であるように、πもまた無理数だということは、たとえば7世紀のインドの数学者プラフマグプタが円周率を無理数の√10としたことでもわかるように、かなり広く信じられていた。しかし、その証明はそう簡単ではない。
無理数というのは整数の比(分数)で表すことの出来ない数である。πが無理数であることは、1761年にドイツの数学者ヨハン・ランベルトによってはじめて証明された。彼は「tanxが有理数ならば、xは無理数でなければならない」という命題を証明し、tanπ=1からπが無理数であることを導いた。
ところで、無理数の中には、√2のように代数方程式(x×x=2)の解になる<代数的数>と、いかなる代数方程式の解にもならない<超越数>の二種類がある。πが超越数であることは、1882年にフェルディナント・リンデマンが証明した。
超越数とは、代数的に表現すれば、「整数を係数とする代数方程式の解にはならない数」のことだが、幾何学的には「定規とコンパスだけをつかって作図できる長さはでない」ことにあたる。したがってリンデマンの定理によると、「円と同じ面積をもつ正方形を、定規とコンパスだけをつかって作図することはできない」ことになる。
これはギリシャ以来の数学者を虜にした「三大難問」のひとつで「円積問題」といわれた。他の二つは「与えられた任意の角を3等分線せよ」「与えられた立方体の2倍の体積をもつ立方体を作図せよ」というもの。ここにギリシャ以来の最後の難題が否定的な形で解かれたことになる。
「ギリシャの哲学者たちは、2の平方根が有理数でないことを見つけたとき、牡牛100頭を生け贄にささげてその発見を祝福した。πが超越数だというさらに奥の深い発見は、それ以上の生け贄に値することだ」(エドワード・カスナー「数学と想像力」)
なお、πが超越数であるというリンデマンが証明に先だって、1873年にエルミートがオイラーの定数(自然対数の底)「e」が超越数であることを証明していた。リンデマンはこれにヒントを得て、「eのix乗=−1」という式はxが代数的数では成り立たないことを証明した。オイラーの有名な式「eのiπ乗=−1」が成り立つためには、πが代数的数でないこと、すなわち超越数でなければならない。
πは幾何学を代表する定数である。これに対して、eは代数・解析学を代表している。オイラーの公式は、数学の二大分野である幾何と代数を統合している式のように見える。そしてその二つの世界を取り持っているのが、虚数単位iということになる。
数学における二つの神秘的な定数であるeとπが、虚数単位iをとおして一つに結びついているのはまさに驚嘆すべきことだろう。オイラーが発見したこの式を、ほとんどの数学者はこれまでに人間が発見したもっとも深遠で美しい式だと考えている。
(オイラーの定数eが無理数であることについては、高木貞治の「解析概論p68」にTaylor級数を使ったエレガントな証明がある)
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