橋本裕の日記
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2001年07月07日(土) 円周率の話(1)

 紀元前1650年頃、エジプト人書記のアーメスがパピルスにその頃知られていた数学上の公式を記した。「リンド・パピルス」と呼ばれているその書物のなかに、こんなことが書いてある。

「直径の1/9を切り取り、残りの部分一編とする正方形を作ると、その面積は円の面積と同じものになる」

 この記述をもとに、円周率(円周と直径の比率)を割り出すと、256/81、もしくは3.16049・・であることになる。これは今日知られている値の3.141592・・・の誤差が1パーセント以内という、かなりいい値である。

 もっとも、この事から、エジプト人が円周率についての認識、すなわち「円周と直径の比がどんな大きさの円に対しても常に一定値をとる」という認識を持っていたかどうかわからない。たとえ持っていたにせよ、その値を3.16049・・と考えていた訳ではなさそうだ。

 それから1000年ほど経ったバビロニア人やヘブライ人が円周と直径の比として使っていたのは3という数字だった。彼らは「直径を3倍すれば円周になる」というおおざっぱな認識しか持っていなかった。そしてそれで、実際何の不都合もなかったのである。

 旧約聖書のソロモン王の神殿建設を述べた「第一列王記」を読むと、「彼は鋳物の海を作り、その端から端までの長さは10キユービット、周囲は円形で、高さは5キュービットだった。そして、長さ30キュービットの縄がその周囲を囲った」とある。10*3=30という計算だから、円周率は整数の3ということだ。

 それでは、幾何学を理論的観点から純粋に学問として研究したギリシャ人はどうか。ソクラテスと同時代の頃、すでにプリソンとアンティフォンは円についての理論的研究を進めていた。たとえば、円の面積を円に内接する正多角形の面積で近似的に表す方法などが彼らによって確立された。

 この正多角形の外辺を使って円周を計算したのがアルキメデスである。彼は円に内接する正96角形と外接する正96角形を作り、それらの辺の長さから円周率の上限と下限を計算で理論的に求めた。その値は22/7より小さく223/71より大きいというもので、その平均の値は3.1419で、真の値との誤差は、1万分の3以下という正確な値である。

 彼は祖国シラクサがローマ軍に襲われたときも円の研究に没頭していて、侵入してきた敵兵に「私の円にさわるな」と叫んで殺されたという。しかし、彼の記録は1220年にフィボナッチが「幾何学の実践」の中で3.4118と値を得るまで、ヨーロッパでは1500年間も破られることがなかった。

 しかし、アルキメデスの数値が実際に利用されたことはなかったようだ。たとえばローマ帝国絶頂期の測量をテーマにした論文には、「円周を4分割し、それを一辺とした正方形を作ると、その面積は円に等しい」と書かれているが、これでは円周率が4になってしまう。

 デビット・ブラットナーは「パイの神秘」という本の中で、「このことを考えると、ローマ人にあれだけすぐれた建築が作られたことが驚異に思えてくる」と述べている。もっとも、ギリシャ人のように厳密な理論に囚われない、融通無碍のおおらかさが、ローマ人の強みであったのかもしれない。


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