橋本裕の日記
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| 2001年07月06日(金) |
自由民と戦士の名誉心 |
アリストテレスは「ニコマコス倫理学」の中で、「矜持ある人とは何よりも名誉に自分は値すると---もちろん自己の価値に依拠して---自認している人々だ」と書いている。ギリシャ古代国家はこのような「名誉」を重んじる自由市民によって支えられていた。彼らの誇りの背後に、多数の奴隷民たちへの優越感があったことは否めない。
そしてまた、ヨーロッパの中世封建制を支えた貴族戦士たちが最も重んじたのも「名誉心」であった。日本の「武士道」でも、武士が一番重んじたのは「名誉」であった。戦士は、自らの誇りのために死を賭して戦わなければならない。このように、「名誉心」は戦士にとって必要な心構えであった。
ホッブズによれば、「人々は絶えず、名誉と位階honour and dignityを求めて競争している」(リバイアサン)のであって、こうした人間の「自然の情念は、えこひいきpartiality、プライドpride、復讐revenge、及びその他の類似のもの」へと導き、人間が戦争状態に陥る原因の一つであるとされた。
つまり、他者との比較に基づくような名誉心やプライドは、闘争の尽きせぬ原因であって、平和状態を導くよりもむしろ戦争状態を導くものであり、このような戦士たちによって守られた国家は始終戦争状態におかれていることになる。ギリシャのポリスが戦争状態におかれていたことや、中世を代表する出来事に十字軍の遠征があったことを考えれば、このことは納得される。
モンテスキューは国家の統治形態を君主制、共和制、専制に分類したが、君主制は「名誉」、共和制は「徳」、専制は「恐怖」によって支えられると考えた。(『法の精神』第3編第9章)キリスト教の博愛精神をベースにした共和制を目指した彼の理想は、アメリカの独立宣言やフランス革命の「自由、平等、博愛」の人権宣言へ受け継がれた。
しかし、今日の共和国がモンテスキューのいう「徳」によって支えられているようにも見えない。プラトンは、「国民の魂はすっかり軟らかく敏感になって、ほんのちょっとでも抑圧がかせられると、もう腹を立てて我慢ができない」(国家)という自制心の欠如が民主政治を危うくすると書いた。「最高度の自由からは最も野蛮な最高度の隷属が生まれてくる」という予言が何とも恐ろしい。
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