橋本裕の日記
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2001年07月03日(火) 理論進化の4段階説

 ものごとの認識に4段階のレベルがある。すなわち、�仝従殤静�段階 �⊆詑力静�段階 �K楴創静�段階 �ぜ汰�論的段階。これはまた、学問の歴史の段階である。

 というようなことを、大学時代、物理の勉強をしながら、友人たちとさかんに論じたものだ。当時流行していたマルクスの弁証法や理論物理学者の武谷三男さんが主張していた「三段階説」の受け売りである。

 恐ろしいもので、その頃の思考形式が、いまの私をも支配している。だいたい、私は物を考えたり書いたりするとき、上の4段階説をベースにしている。自分の説がどのレベルにあるのか、ときどき意識する。

 昨日のマルクス経済学を例に取ると、「あらゆるものが商品として市場で売買されている」という認識が�仝従殤静�段階である。使用価値や交換価値の分析も、このレベルの研究だとみればよい。交換価値のみを体現する純粋な商品・貨幣の出現や、労働力という特別な商品の性格分析もこの段階だろう。

 それではこれらの商品の価値はどこから生まれるのか、アダム・スミスによって発見された「価値の源泉は人間の労働である」という「労働価値説」が、もう一段階進んだ�⊆詑力静�段階だといえる。富は人間の労働によって作られると言うのは、今日ではいわば常識かもしれないが、アダム・スミス以前は必ずしもそうではなかった。

 たとえば金や銀が価値があるのは、それらが「貴金属」だからだと考えられていた。それ自身に内在する価値(使用価値)だと考えられていたのである。しかし、ほんとうのところはそうではないということになる。それが価値を持つのは、それが稀少なために、あらゆる商品と交換可能で、すぐれた社会的交換価値をもつからである。

 労働力はそれ自身商品だが、それは特別な性質をもつ商品で、それは消費されることによって、あらたな剰余価値を生むというのが、マルクスの「労働力剰余価値説」である。そして、この剰余価値は搾取されて、資本を形成する。資本主義的生産関係のもとで、労働が新たな資本を生み、この資本があらたな労働を組織する。そして、この世界をこうした資本中心の自己運動として展開するサイクルとしてとらえるのが�K楴創静�段階である。

 ここから資本による労働の疎外がうまれ、生産関係の社会的公共性と生産力(資本)の非社会的私有性という矛盾が生まれる。そしてこの矛盾を解決するために「資本の社会的共有」という社会主義の運動が生まれる。こうした「階級闘争の理論」が�ぜ汰�論的段階ということになる。

 こうしたことを、熱っぽく議論したのはもう30年近く前のことだが、今こうして書いてみて、それほど間違った理論だとは思えない。やはり私はいまでも頭の中では「共産主義者」のはしくれなのかもしれない。


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