橋本裕の日記
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2001年07月02日(月) 商品の不思議

 私たちは日頃から見慣れているものに、不思議を感じない。たとえば庭に薔薇の花が咲いているのを見ても、「ああきれいだな」とは思うが、不思議だとは感じない。

 私が小さい頃、父がラジオを買ってきた。そこから音楽や人の声がでてくる。中を覗くと、ガラス管が並んでいて、赤く輝いている。それは何とも不思議な、胸がわくわくするような光景だった。しかし、そうした感動も最初のうちだけで、やがて何とも感じなくなる。箱の中から声が出てきても、それはラジオだからあたりまえということになる。

 考えてみれば、人間という存在そのものも、とてつもなく神秘的な存在だと思うのだが、それは人間がアメーバーのような原始的な生物から進化してきたことを知ったとき考えることで、ふだんは何とも感じない。

 商品などというものも、私たちの身近にありふれていて、誰も格別不思議を感じることはない。しかし、マルクスはそこに不思議なからくりがあることに気付いて、その秘密を暴くために情熱を傾けた。そして大著「資本論」を書いた。「第一巻 資本の生産過程 第一篇商品と貨幣 第一章 商品 第四節商品の物神的性格とその秘密」から一部を引用しよう。

「一つの商品は、見たばかりでは自明的な平凡な物であるように見える。これを分析してみると、商品はきわめて気むずかしい物であって、形而上学的小理屈と神学的偏届にみちたものであることがわかる」

「商品を使用価値として見るかざり、私がこれをいま、商品はその属性によって人間の欲望を充足させるとか、あるいはこの属性は人間労働の生産物として得るものであるとかいうような観点のもとに考察しても、これに少しの神秘的なところもない」

「人間がその活動によって自然素材の形態を、彼に有用な仕方で変えるということは、真昼のように明らかなことである。例えば材木の形態は、もしこれで一脚の机を作るならば、変化する。それにもかかわらず、机が木であり、普通の感覚的な物であることに変わりない」

「しかしながら、机が商品として現われるとなると、感覚的にして超感覚的な物に転化する。机はもはやその脚で床の上に立つのみでなく、他のすべての商品にたいして頭で立つ。そしてその木頭から、狂想を展開する、それは机が自分で踊りはじめるよりはるかに不可思議なものである」

 商品の不可思議さの正体をマルクスは追求する。そしてその過程で、この世界のおどろくべき構造があきらかになる。残念ながら、この浩瀚な書物を読破することは至難の業である。私自身、学生時代に買った「資本論第1巻」(岩浪書店 向坂逸郎訳)が手元にあるが、詳しく読んだのは「第二篇 貨幣の資本への転化」までの229ページほどである。

 しかしこのくらいなら、何とか読めるし、「資本論」はこれだけでも十分に醍醐味が味わえる。物事を本質的に考えるということはどういうことか、大事なエッセンスがここにはっきりと語られているからだ。あとは読むにこしたことはないが、専門家でもない私たちにとっては、今の時代、労多くして益少なしという感じがしないでもない。


橋本裕 |MAILHomePage

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