J (2.結婚)
10. 義母 (6)
義母が来た翌日、私は暇ができたので、 結婚式で世話になった方々へお礼の挨拶をしに出かけました。
もちろん私一人でです。
友美さんは臥せっているわけではありませんでしたが、 安静に、努めて安静に、生活をしていなければいけません。 車に乗ってほうぼうを回るなどは許されることではありませんでした。
行く先々では当然のように友美さんはと問われました。 私は訝しく思われてもいけないと思い、 友美さんに妊娠の兆候があった、と説明をし不義理を詫びました。
そう話すことで私はまた行く先々で喜ばれ、祝いを貰ったりして、 真実が切迫流産ということを隠している自分が辛くも感じました。
私は私の実家にも立ち寄りました。
実は友美さんの切迫流産について私の実家には知らせていませんでした。 無用の心配を掛けたくはなかったからです。 妊娠していることすらもはっきりとは知らせていなかったのです。
この時も友美さんの妊娠について話すことはやめておきました。 何故ならそれを話せば必ず私のうちに祝いにやってくるに決まっています。 私は友美さんは疲れて今日は来れなかった、とだけ言って終いにしました。
私の両親は訝しく私を思ったようですが、捨て置きました。 「まあ、落ち着いたらまた、今は忙しいので、」 と話半分で切り上げて私は早々に実家を後にしました。
母はちょっと寂しげに「またゆっくりおいで、」と言いました。
父は何も言いませんでした。
もともと父は無愛想な男でした。 ああまたいつもの父だとこの時も気にも留めなかった私です。
しかし。 次に会うのは病院のベットに臥した父、ということになろうとは、 この時は夢にも思わなかったことでした。
(友美さんは結婚式以来、私の父に会うことはありませんでした。 父はこの2ヵ月後癌で倒れ、6ヵ月後亡くなります。 同じ時期に生まれた新しい命と引き換えるかのように。 そのことはあとの項で書くことになりますので、ここは筆を進めます。)
・・
夕方私は私の家である社宅に戻りました。
義母が用意してくれた夕食を食べながら、 私は義母と友美さんに翌日から仕事に復帰する旨を伝えました。
義母がきてくれています。 私が友美さんに付き添っていてもやることはない。 であれば早めに仕事に戻って仕事の穴を埋め戻したい。 …私はそのような主旨で話しました。
義母は、純一さんは精々稼いで貰わないとね、友美のために、と言い、 家のことは私がいるから大丈夫、ご心配なく、と言ってくれました。
友美さんは黙って私の顔を見ただけでした。
私と友美さん。
結婚式から新婚旅行という一連の行事はここで終わりました。
まさに夫婦としての生活がスタートしたのです。
(10.義母、の項 終わり)
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