『本の旅人』(角川書店のPR誌)6月号に出てた 宮部みゆき・高橋克彦の対談が面白かったので(あいかわらず旧い話題でごめんなさい)。 おもに子供時代、親から受け取った「怪談」感覚について(ホラー映画を一緒に見るとか…) 語られていたんですけどね。
宮部氏と私は親がほぼ同世代なので、彼らの 映画(とくにアメリカ映画だったらヒッチコックとか)への愛着は思い当たるものがあります。 ヒッチコックの「鳥」を小学生の娘に勧めたという宮部氏の母上はすばらしい(笑) 私も見せられたけどギブアップした覚えが…。 「ママ、あの顔こわい」「鳥は目を突つくからね」「ぎゃー…(涙)」 あと私の幼いころは、「ヒッチコックアワー」という ホラーオムニバスドラマ(もちろん米製)をTVでやっていて 御大自らナビゲーターとして(「世にも奇妙な物語」のタモリみたいに)登場してました。 テーマ曲が印象的で、耳に焼きついていたなあ…。
もうひとつ共感しやすいのは、宮部氏が東京の下町で育って住み続けているためか 時代物はもちろん現代物でも、町を、とくに下町を歩く描写が生々しいこと。 私自身は下町に住んだことも勤めたこともなくて殆ど土地勘がないのが残念ですが、 親が下町育ちなのでなんとなく縁があり、親しみがあります。 そして親の世代で下町育ちというと、 空襲で(家や家族を)焼かれたという体験談が多いんですよね。 私の父も、言問橋で人の形をした大量の炭のなかから自分の父親を探したそうです。
東京大空襲のような大惨事があった土地は、いつか怪異譚のようなものを生んでいく。 その惨事を当事者として体験した人は、そんな怪談と自分との距離をどうとっていくのか。 「あそこに幽霊出るんだって」と聞いて、自分の知ってる人かもしれないと思うような 心当たりのある人は…。 惨事を体験した人の記憶とそれを克服していく力、 それを怪奇として見られる(距離のある)外部の人と、中で体験した人の違い、 そこからまた生まれる怪異。不謹慎なようだけれど物書きとしては書いてみたい。 …そんな宮部氏の話が、らしくて面白かったです。
あと高橋氏いわく「ホラーは若いうち」…これ言えてるかもしれない。 若いときのほうが、怖いものを拾ってくる感性がすぐれてるということ。 そういえば、作家の若い頃の短編って、「その人らしさ」はさておき 恐怖に似た感覚が瑞々しく書かれているような気がします。 それは周りの世界と、そこにあってはいけない何か異質なもの (未知の恐怖かもしれないし、自分自身かもしれない)との違和感を 鋭く感知しているせいなのでしょうか。 遠い読書の記憶をたぐりよせてみると、川端の『掌の小説』とか太宰の『晩年』なんて 怪談ショートショートとして楽しんだ短編がたくさん入ってた覚えがあります。 北杜夫と椎名誠の初期の短編は、過敏になった神経に触れるような なんともいえない嫌悪と恐怖と妙な美しさが似ていると思うことがありました。
|