日々の泡

2001年06月14日(木) 続けてみた

すぐ続けるつもりで、一旦やめてしまった前回の続き。

自分はそんなにユニークな感性や思考の人ではない、というか
自分が考える程度のことは他の人、とりわけ「有識者」みたいな人が書いたり言ったり
してるもんだと、おおむねそう思って生きてきたものでしたが。
オウム事件あたりから、マスコミを見てて自分の思ったことを簡潔に代弁してくれるような
コメンテイターを見つけにくくなってしまったのね。
それだけ、難しい出来事が多くなってきていると言えるのでしょうか。

たとえば「死刑」について、私はこれを
「いいとか悪いとかいう以前に、『無理』だろう」
と思っている者だけれど(詳細は略)。
その理由について、自分が思ったのと同じことを書いている人を見たことがない。
恥ずかしながら関連書を探して読んだりはしてないが、新聞の社説やコラム読んでる
レベルでは目に入ってこなかったと思う。

‐‐
先週の事件のすぐあと、テレビで聞いたうちでいちばん納得できたのは
「精神病と診断された人でも、犯罪傾向の人と普通の人は分けて考えなければいけない。
施設も医者もルールも、一緒くたでは間に合わない」という話だった。
犯罪者タイプの精神病者はすごく危険で、ふつうの精神科医の手には負えない。
他の患者や医師や職員に危害を与えそうな者を普通に扱ったり、
「責任能力がない+普通に生活はできる=野放しにする」ってのはいけないことだ。
当たり前のことだと思うんだけど。日本ではこの辺をちゃんと分けてないし、
専門家も育っていないらしい。

ちょっと話がそれる。人をグループ分けしては
「○○(←たいていはマイノリティ集団)は性格がいい」「いや、悪い」というようなことを
真顔で議論する人たちがいる。
というか、身近にいて、すごく嫌だったことがある。
本当は「美人じゃない女性のグループ」も
「心身にハンディキャップがある人のグループ」も
「田舎者(自称他称を問わず)のグループ」も
それぞれ、イイ人も嫌な人もいるんですけど。
って。いや、そういう当たり前のことをわざわざ真顔で言いたくなるくらい、
「○○は〜」って決めつけた言い方を好む人が多すぎるのよ。ぷんぷん。

まあ、そういう感じで。
「頭の具合が悪い奴はみんな危険だ」というぞんざいな考え方が習い性になってると、
人に危害を加えないほとんどの精神病患者を牢屋みたいなとこに閉じ込めて
本当に危険な人はいつまでも野放しのまんまで平気ってことに、なりやすいんじゃないかと。

「責任能力のあるなし」にかかわらず、人を殺しそうな人は外に出さないってことには、
どーーしてもできないんでしょうか?
既に殺人や傷害をやってしまった人にしか適用できないかもしれないけど、せめて、
精神鑑定で赦された奴やお礼参りに来た奴に殺される話ってのは、二度と聞きたくない。
さきに言ったように死刑は考慮に入れないので、終身禁固ってことで。
だけど何かの間違いで赦されたり、脱走されたり、誰かの悪意で逃がされたりしたら
大変だから、動けない状態にしておいてほしい。薬漬けでもいいし。
…そこまで考えたら、すごく哀しくなることを思い出しました。
普通の(悪いことをしていない)精神病患者が、そのくらいひどい扱いを受けてることって、
珍しくないわけですよね。

今更なんだけど、凶悪犯罪を犯した人って、
自分には何の咎もないのに精神病になった人とか、ハンセン病を患った人とか
(以下たくさんありそうだが略)に比べて
格段に!いい待遇を受けられるわけですよね。
心は壊れてるけど頭のいい人が、わざと悪いことをするのも無理はないよね。
ああ、世の中って不公平でできてる。
というオチになっていいのか。いや、不公平はなくせない。でも酷すぎるのはちょっと。
そんな「不公平の実例」を、いくつもいくつも思い出させられて、
そういう意味でも、いやな出来事でした。


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蟻塔

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