日々の泡

2000年12月27日(水) こどものときかんがえた親という哀愁・1

更新がない上日記も書いてないと恥ずかしいので、
脳内の屋根裏部屋を漁って出てきた昔話シリーズで勝負。
これは、実際に親になってみて考えたことじゃなくて、
自分が子供のときに、
「親になるとこんな哀しみがあるのだろーか」
と想像してみた事柄です。なに考えてたんだか。

一つ目は、海外ニュースの写真で見た、ニューヨークかどっかの
ゲイ・パレードのひとこま。
まだ、そういうパレードが目新しかった時代の記事じゃないかなあ。
その中に、ゲイ・ピープルの「親たち」の列があって、
「私たちの息子(娘)は同性愛者です」と英語で書かれた横断幕を持って、
笑顔で行進している中年から初老の男女が映っていたんだけど。

ああ、この人たちは、ここに来るまでに長い道程だったに違いないと思って、
たくさん泣いたり怒ったり、子供を叱ったりなだめたりすかしたり呪ったり、
自分のどこが間違ってたんだろうと自信をなくしたり、
子供と傷つけ合ったり周りに傷つけられたりして
やっとここに至ったんだろうと思って、
ナミダが出た。
他人だったら気にしないけど、私が親だったらツライダロウナと思った。

想像力って、身近な人の所じゃなく、遠い所へ飛びがちなものだね。


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蟻塔

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