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2004年10月03日(日) もういない (10/4)
昨日の通夜、今日の告別式に参加してきました。
先輩は、そこに確かにいるのに、もうどこにもいなかった。
それでも、まだあの時の死を知らせるメールの意味が理解できていない。
まだ、悪い夢なんじゃないかと思うし、信じられない。
私は、葬儀と言うものには、大きくなってからは参加したことが無い。
一昨年の7月、過去のクラスメイトが亡くなり、 2回もその機会があったけど、 どちらも忙しくて行けなかったから。
普段、死ぬことばかり考えていた私に、 今回のことは今までに無いほど重く感じた。
通夜の後も、告別式の後も、先生の提案でご飯を食べに行った。 みんな、式が終わったその後は、独りになりたくないと思っていたと思う。 楽しくおしゃべりしたり、美味しく食べたりした。
人が亡くなる、という出来事の直後の私の誕生日。 とてもそれどころじゃない時なのだけど、 知っていた一部の人がみんなの前で言ってくれて、 みんなから「おめでとう」をもらった。
とても嬉しくて、悲しかった。
生きること。
「命の大切さ」なんて陳腐な言葉が、胸を刺す。
自ら歩き、食べ物を食べ、感情を持ち、話し、 隣で泣く人がいればもらい泣きをし、 まわりが楽しい空気の時は楽しい気持ちを分けてもらう。
血の通っている、温かい体。
当たり前のことが、とても感謝すべきことのように感じられた。
亡くなった先輩と同級生の先輩達が、抱き合い、手を繋ぐ。
先輩の「死」を偲び、お互いの「生」を確かめ合うようだった。
先生の言葉。
私たちは大きなものを失った。 とても辛く、悲しいできごとだった。 でも、ここを転機として、周りの、親とか、友達とかのありがたさをよくかんがえてみて欲しい。 自分やまわりを労わり、自分の気持ちを抱え込まず人に伝えてほしい。
これが私に必要な言葉だったからなのか分からないけど、 涙をこらえ切れなかった。
私は、基本的に独りで抱え込む性質だし、 そんなのうまくできないよ…。
こんなにやりきれない死もあるのだと、 初めて知った。 もっともっと、未来があったのに。
まんがやドラマじゃ全然、真実味がない…。
先輩。
もし、死を境に、こころが体を離れることができるのだとしたら。
どこかで、見ていますか?
さようならは言いません。
また、いつかどこかで。
会える気がして仕方が無いのです。
4日18:32 18:42
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