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2003年02月23日(日) 居るべき場所 (2/24-1)
最近、色々な人と話す機会があって。
やっぱり、年上の人は違う。
年の功、とでも言うのか。
いや、その人達の人格かな。
私は子供っぽいなぁ。
私も何年か経ったら、そんな風になれるのかな。
なんだかんだいっても、今までの壁、乗り越えてきてるじゃない?
どこにも保証は無いけど、これからも何とかなる気がする。
時間に身を委ね、時間が解決してくれるのを待つのではなく、
ちゃんと自分の足で歩いてゆけると。
光を見たような気がした。
トンネルの向こう側に。
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高校3年の時の担任が、卒業の時の文集に初めて学級通信を出した。
いかにもあの人らしい。
「人生はよく一本の道に例えられるが、僕はどうもそれが好きではない。
まっすぐ前進する以外は、『横道にそれる』とか『後ろ向き』だとか、
なにかと悪い印象で捉えられるからだ」
私は、彼を最高の国語教師だと思っている。
本人にそんなこといったら馬鹿だと思われるだろう。
「いい」性格してるしな^^
皮肉とか言うの上手。
「人生を、草っ原を行くピクニックと考えよう。」
「道など無い。360°どっちへ行くのも君の勝手だ。」
彼の書く文章は、人をひきつける力がある。
図書館報や学校新聞に掲載される文も、ユーモアと、機知に富んでいる。
真面目に難しい言葉を連ねた文章ばかりの文面には目立っていた。
彼が担任になる前、私の学年は彼の授業を受けるとかの縁は殆ど無く、
多くの同級生は彼を知らなかった。
私は、1年の時の自転車登録で、一度盗まれて再登録した時、
「図書館報に面白いこと書いてた先生だ」とわかり、顔を覚えていた。
3年になって、突然だった。
あの先生が担任かぁ。
正直、今まで学年にいなかった先生だったから不安だった。
『ピクニック』、か。
トンネルも、1本道なので、考え方を変える。
今までは、山や障害物に隠れて、光が全く見えなかった。
闇雲に歩き回っていただけ。
でも、段々木漏れ日が見えてきた。
今までの先生の文章の中でこれだけは読んでいて泣けてくる。
青空が見える。
気に入った場所を探す。
丘をのぼってきたからこそ、今見渡せる風景。
新しい景色を探すか、気に入ったからそこに腰を下ろすか。
それも自由。
過去に縋ってなんかいられない。
遠くを見るのは怖いけど、行くしかない。
ずっと甘えているわけにはいかないんだね。
「行きなさい」、と。
せつない。
はかない。
私は高校でみんなといる場所が好きだったよ。
でも、そこにはもうみんないなくなっちゃった…。
ひとりなんだ。
青空の下で、ひとりっきり。
いつの間にか歩いてる。
そうするしかなくて。
わたしはわたしの足で、ここに来たの。
なにか見つかるかな…。
みんなはどこに向かってるのかな。
ここは、まだ違う。
足を止めるには早すぎる。
探すんだ。
もっと居心地のいい木陰を。
24日23:32
追伸:文ちょっと引用しちゃってごめんね、先生。
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