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2002年07月09日(火) ■旧同級生の死(2)
以下、携帯へ打った独り言。 推敲もなんもなしの書きなぐりです。 私は落ち込むとよくやります。 改めて読むと、ネガティブ一直線ねぇ…って客観視できるんだけど。
7月8日午前中
『(知らせを受けた)昨日はわりとなんでもなかったんだけど… (今朝は)寝不足で食欲がなくて、 でも今日は単位がかかったテストもガラスもあるから、 夜遅くまで絶対学校にいなきゃいけないっていうプレッシャーもあって、 追い詰められたようなものすごくネガティブな気分になってしまった。 旧クラスメイトの死が悲しいよりも、 人の死というものがいかに重いものか思い知った。
重さに負けてしまう。
私はどうしてあんなに重みに苦しんだ日々を忘れていたのかな。 私はどうして生きてるの?
でも、お通夜とか行ったらますますきつくなるだろうから… どうなるのか判らないけど。
人は日常の中で常に何かに追われている。 忙しさだったりプレッシャーだったり様々。
でも、今まで意識しなかった。
死は確実に追ってきているのだ、と。』
7月9日午前2時02分(夜中)
『知ってる人が自殺するってことを見る側を実感して、 それだけでもショックが大きいのに… これがもっと近しい、身近で大切な人だったとしたらどうなっていただろう…。
死は関わった人に影響を与える。 友人はもちろん、近所に住んでる人でさえ。 過去クラスが一緒ってだけでも。
どうか自分がいらないなんて思わないで。 絶対誰かが悲しむ。
でもそれは、皮肉にも誰かの死がないとよく判らない。 (自分のことが心底嫌いな場合、わかってても「自分なんて要らない」って思っちゃうけどねぇ…)
しかも私はこんなときにタイムリーというか…むしろタイミング悪く、 死後の世界とか腐乱死体の美術だとか。なんだかねぇ…。』
注) 「死後の世界とか腐乱死体の美術とか」は、8日の「単位がかかっているテスト」の内容に含まれていました。 「視覚イメージの分析」という講義で、日本古来の仏教美術などが題材だったため、 涅槃図(仏教の開祖・釈迦の入滅(死ぬ)場面)、 僧や昔の人たちの認識としての「死体が腐乱していく過程」(そういう絵も普通にあるんです)、 来迎図(死者を阿弥陀如来が迎えにくる場面)、 地獄の様子、極楽の様子。
これだけじゃさっぱりわかんないと思いますが、 今の私たちほど「死体」に慣れてない人はいないでしょう。
昔は、戦乱や餓死で、普通に転がってたんですから。
先生の言葉の受け売りになりますが、 私たちが普段食べている肉や野菜も、本当はすべて死体です。 その点はまったく気にしてないのにおかしいですね〜、って。
先生は日本美術史専攻らしいですが、 とにかくユーモア満点の面白い人です。 構内の移動はキックボードです。マジで。
ちなみにテストはその場で自己採点して、B判定を貰いました。 単位get★
まだまだドイツ語のテストとその日にガラスの提出があるので、 ものすっごく切羽詰ってます。 ガラスの部品は明日の朝徐冷炉から出るので、 それから磨いて磨いて接着して乾かしてテスト勉強して…そんなときに台風6号で嵐っ!! 間に合うかなぁ(+_+) 二つの単位がピンチに晒されてます。
今週終われば一気に2ヶ月もの夏休み。 怒涛の日々を終えたら、暇なのか、はたまたレポートで忙しいのか…不明。
話が逸れましたね。 でも、いいたい事は言ったと思うので、ここまでで。
22:51
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