2006年11月26日(日) |
見せてくれ心の中にある光 |
コンポが壊れて、CDウォークマンの電池がなくなってからずっと音楽を聴いていない。困らないし、違和感もない。でも久しぶりに小沢健二を聞いたら、違う景色が見えた。これだ。仕事ばかりしていると、これを忘れる。仕事ばかりではない。ラジオ深夜便や、死んだ作家の小説ばかりで暮らしていると、これを忘れる。
高校、大学時代は、歌詞のひとつひとつに震えていた。はたちの日々は、もう5年も前のことになる。時間はありあまる程あった。いつも眠っていた。恋愛に頼ろうとした。かわいくなろうと必死だった。
あのころの不安定さを、解消するための技を得るための5年間だったように思う。
克服したなどと傲慢なことを思ってはいけない。孤独に直面しているか、そうでないかの違いだけだ。ガチンコ勝負をせずに、裏道を覚えただけだ。
同年代で今でも不安定な人を、恥ずかしいと感じる。不快感さえ覚える。ウイットのなさを、沈黙の少なさを、軽蔑する。その気持ちは嘘ではない。しかし我が身はどうだろうか。小手先のテクニックや避難路を、ただ知っているだけだ。あるいは人に、助けられているだけだ。
先日友人に聞かれた。「なんでアイドルになんてなりたい女の子がいるんだろう」。よく分からないと言った。本当は分かっていた。自分だってそうだった。見て欲しい。認めて欲しい。それ以外考えていなかった。
子どもの頃の気持ちを、大人は忘れてしまう。よく出来た童話が使う言葉だ。本当にそうだろうか。覚えていないふりをしているだけではないか。あの頃の自分を思いだしたら、正気を保てないから。
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