2006年09月10日(日) |
阿部謹也が死んでしまった |
土日出勤して、夜中に朝日新聞の三面記事を開いて驚いた。歴史学者の阿部謹也が、亡くなった。急性心不全。71歳だという。すうっと体の力が抜けた。死ぬと思わなかった人が、死んでいく。
一昨年の冬、石牟礼道子のシンポジウムで初めて阿部謹也の講演を聞いた。彼の十八番である「社会」と「世間」の話。面白かったので、その後ぽつぽつ本を読んだ。『ハーメルンの笛吹き男』『「世間」とは何か』最近はエッセイ『北の街から』を買って積ん読にしていた。
熱烈なファンというわけではない。でも、書店に行くと「ああ新刊が出ている」「文庫になっている」と発見して通り過ぎる。そういう作家は数多くいる。
私には、未読の阿部謹也の著作が山ほど待っている。彼が生きていようと死んでいようと、事実上は変わらないはずだ。それなのに、突き放されたようなこの気持ちは何だろう。
今年の1月になくなった祖母にも、同じ思いを抱くことがある。祖母とは生まれたときから別居しており、最近はお盆や正月にも会う機会がほとんどなかった。老人ホームにも、ろくに見舞わないダメな孫だった。
直接話した言葉や、最近の思い出があるわけではないのに、突然、「寂しいな」という気持ちが襲ってくる。「あ、おばあちゃんもういないんだっけ」。デパートのエスカレーターを登るとき、大宮駅を電車で通るとき、それは来て、去っていく。
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