2003年01月08日(水) |
全部事実だと思って読まれないことを前提としてる。 |
「連載」という言葉の持つ重みを実感する。 続けなきゃ・・・と思うと他のことが書きたくなるのね。 第二回はまた後日。 ごめんにゃんにゃん。(ぶりっこで逃げ)
■昨日買った本二冊をほぼ一日で読破。 松尾スズキ「ギリギリデイズ」「第3の役立たず」。
あぁた、(歌舞伎風の松尾さんの、まね)明日天下の小学館に エントリーシート取りに行くんでしょう? もうちょっと自己PRに使えるようなのを買いなさいよ。
ね。 それにしても素晴らしかった。 日記にまで、鬱と正気(でいようという心がけ)が共存している人というのは気持ちがいい。 不思議君 (=芸術家肌、変わってるって言われるんです〜オーラ、私って変〜?) は嫌いだ。
うわ、また嫌いとか書いてるよ。 最近悪口が多くて駄目だ。 うそ。ごめんなさい。 不思議でもDJやってても全然いいと思います。 ありかなしかって、ありに入ります。
***** あれなんですね、 この事件<’99の、ライフスペースのミイラ騒動の頃の日記>は、 人間は「同じ日本に生まれていながらここまでわかりあえない生き物なんだ」 というあっけらかんとした真実をさわやかに提出しましたね。 風刺漫画ののりで。 逆に言うとライフスペース側にしてみりゃ、なんだ、 「死んでるものを生きてる」とまで信じ込ませることに成功したわけだから 「どんなことでもわかりあえる」ということを提示したわけで。
要するに「わかりあえること」も「わかりあえないこと」も 大した価値を生まない。等価なのだ、という 私の日頃の言い分を証明してくれたわけであります。
(松尾スズキ『ギリギリデイズ松尾スズキ日記’99〜’01』)
このくだりを読んで、甘い甘ーいおつき合いの記憶が甦った。
「ねえ、喋っても喋ってもあなたにとって私の言葉は意味をなさないの?」 と可愛らしく不安がる私を、 当時の彼氏は 「人間は『分かり合えないことを分かり合う』ことで分かり合えるって何かで読んだよ」 と文学的かつ(眠かったから)適当に慰めてくれたものだ。
ぷぷ。 分かり合うとか合わないとか、 意味のないことをぐだぐだ言ってたんだなあ。私。 恋愛って恐いね、あとから見ると気持ち悪くて吐きそうだ。 そんなこと考えてる暇に手の一つや二つつなげばいいのに。
以前、彼としばらくぶりに話したら、 「俺はセックスをするために女の子と付き合うんだ」と言っていた。
「セックス以外で人間は分かり合えるはずだ!」というのが 添い寝愛好家である私の、長い間の持論だったので、 その場は断固反対したのだが。
もう最近はそれがごくまっとうな、正直な気持ちのように思う。 彼のように生きられたらどんなに楽だろう。 ”分かり合う”とか”意味”だとか、そんなものは 便所かどこかに投げ捨てて 次々に愛をはぐくむあなたが羨ましいよ。
(でもそれはそれで楽じゃないんだろうね。 松尾さん抗うつ剤と睡眠薬飲みまくってるからね。 奥さんと愛人共有してるらしいし。)
■甘い恋愛つながりでもう一つ。 昨日は旧友と再会し、彼女の 「年末に告白。返事はもらえていないけど仲は良くて 今は付き合っているのか微妙な状況、 でもすっきり。幸せ!」ばなしを聞いてきた。
彼女は自分から行動したのは、今回が初めてだったのだという。 本当に嬉しそうだった。
「西武新宿線の改札の前でね、帰ろうとするからいわなきゃと思って 腕を引き留めたの、ドラマみたいだった!」 と顔を赤らめる。
私はそれを見て、何の皮肉もなく 心底いいなあ、かわいいなあと思った。
「人間誰でも自分が一番大切でしょう? あなたが一番好きなんてきれい事じゃん。 だから私は世界で二番目にあなたのことが好きですって言ったの。」
ああ、薄っぺらなせりふだ。 (上記の)私が昔吐いたのとどっこいどっこいだよ。 でも、目の前で聞いていると、こっちまで幸せになる。 そういう笑顔で彼女は言うのだ。
斜に構えている自分が、恥ずかしくなるような輝きなんだ。 「頑張ってね」 心から応援してしまう。 恋をしている女の子というのは、なんて素敵なのだろうと思う。 自分がそこからどれだけ遠ざかっていたかを思い知らされ、愕然とする。
”何?くっだらない話。どーでもいいよあんたの彼氏なんか、暇人。” 魚喃きりこ漫画の心の声なら、そう言うのかもしれない。
でも、 薄っぺらで、くだらなくて、どうでもいいのが恋愛じゃないだろうか。
そして人生ではどうでもいい部分こそが「美しい」のだし、 生きていく喜びになるのだと私は思う。
・・・と うまくまとまったところで、 橋本治『人はなぜ「美しい」が分かるのか』(ちくま新書)はおすすめです。 はじめは何を言おうとしているか分からなかったけど、 第二章の清少納言「枕草子」と兼行「徒然草」の比較なんてもう、 目から鱗もの。 『桃尻語訳枕草子』も読まないわけにはいかなくなった。
|