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2002年11月22日(金)

宮崎駿のインタヴュ−で、
「千と千尋〜はある親しい子供達(数人)のために作った作品だ」
というのを読んだことがある。

その映画が日本中の人に見られ、絶賛され、
私など涙を流すのだから、本当に凄いことだと思う。

例えば私がたった一人の人のために書いたラブレターが
本になって出版され、
誰かがそのために泣いてくれるというようなことは絶対にあり得ないことだからだ。
そこが才能の差というものね。宮崎氏と比べたのが間違いさ。

今日、帰りの電車で
足を投げ出して座っていた若者に
堪忍袋の緒が切れたおじさんが注意して、
そこから二人の語りあい(喧嘩っていうのでもなく)が始まった。
テーマは、”東西文化の相違とコミュニケーションの欠如”かしら。

「そうやっていきなり怒らんでも、もっと早く言ってくれたら分かるのに。」
「言う前に気付いてよ。」
「東京の人はコミュニケーションせえへんから嫌いや。」
「だって注意したら変に思うやつもいるんだよ、
そういう世の中でしょう。
君の考えは東京じゃ通用しないよ。」
「コミュニケーションしなきゃ、伝わらんこともあるでしょう。
足投げ出してたのは悪かったわ。
けどそう言ってくれたらすぐ直すのに、こっちの人はみんな黙ってるんやて。」
「あれだよ、大阪の人はさあ、やっぱりほら阪神ファンみたいな
人情に溢れた人が多いじゃない。」
「僕大阪じゃないです。」
「いやそういうことじゃなくてさ。時代とか社会がさ、
もうコミュニケーションとれないじゃない」

・・・・・・・・・・・・

「携帯電話でさあ、便利になって、コミュニケーションができなくなってるんだよ。
だから東京の人はもう、色々知らない振りしないといけないの。
俺は携帯使ったことないね。
(隣の若い女の子を巻き添えにし)、君何で携帯持つの?
そんなに便利なの?」

・・・・・・・・・・・・

マナーがどうこうは、まあひとまず置いておくとして
私が聞いていて感じた違和感は、
二人から全く同じように繰り出される、
「単純な一般化」だった。
東京、大阪、今の時代、社会、○○な人々。

”こんなに冷たい今の時代”をまるで他人事のように言う。
あなたたちは参加していないのかな。
「東京の人は」、「大阪の人は」、「巨人ファンは」、「阪神ファンの人は」。
誰なのか分からない誰かを、笑ってしまうくらいステレオタイプに批判する。

創刊当時のポパイが何故売れたか、それは
「一般の読者」など想定せずに好きなものを作ったからだ、
(「ポパイの時代」)
という意見に私も賛成だった。
人間というのは、どこかひとつにカテゴライズされるほど単純ではないと思う。
(あ、私も思いきり一般論話していますねえ。駄目だ。もうやめる。)



言いたかったのは、私はいつも、
たった一人のために書こうということ。
「〜のために」とか大袈裟な話になってるな。
なんか野暮ったいなあ。


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