北朝鮮拉致被害者とその家族の方々が 学校に講演しにいらっしゃる、というので聞きに行った。
私は出席を取る授業のせいで 横田さん夫妻のお話しか聞けなかったのが残念だった。 シンポジウムも参加できていたら 授業よりずっと、ものを考える機会になった筈なのに。
横田滋さんが話し始めた途端に、何故だか涙が出た。 ああこの人は普通のお父さんなのだ、と思った。 私が拉致されたら私の父も、あんなふうに人前で不器用に話すのだろう。 そんな気がした。
学生の同情を引くような話し方をしても、 群衆を煽動する政治家のような器用さはない。 普通の、野暮ったい感じ。 北の国からの田中邦江を見たときと同じ感覚の涙だった。 でも、その普通さがなおさら、彼らの事件後の葛藤を想像させた。
本当によくある家庭の、父と、母と、娘だったのだ。
北朝鮮に拉致されても、 小児ガンでなくなっても、 通り魔殺人にあっても、 学校で鉄棒から落ちて事故死しても、 自殺しても、 誘拐されても、 家族を失ったものの悲しみは同じように深い。
(こういう開き直りは嫌いだけどあえてやるなら) 政府が、国家が、平和論が、核ミサイルが、 保守が、リベラルが、 と難しいことは分からない。 北朝鮮がどういう国か、正直私は知らない。 事件自体も最近マスコミのおかげで知ったのみだ。 でも、愛する人がいなくなったら悲しいんだ。 そのことは分かる。
知らないことは悪いことだと思う。(もっと勉強します) でも、知識や思想や理論や、そんなもので人間の 「嬉しい」「悲しい」が阻害されるなんて絶対にあるべきでない。
感情に流されて泣いたり笑ったり機嫌が悪くなったりするのが私だ。 横田さんも、多分、そうだと思う。 素直で普通の感覚を、いつも持っていたい。
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