こんなことだらだら書くことではないのですが、 続きです。
朝、7時半に起きる。 妹をたたき起こして、準備。 葬儀場のほうはまるきり父に押し付け。 女性陣は喪服の着付けの為に故人宅へ。 そこで親戚の美容師さんがえいやぁ、と喪服を着付けてくれている間、 私たちはのんびりお化粧。 母達は和装でしたが、私たちはワンピースだったので。
11時ごろ、葬儀場へ向かう。 13時から開始という中途半端な時間なので、 その前に昼飯ということになりました。 一応今日は裏仕事はないなあと油断してたら、 父の変わりにお布施の用意をしておいてと頼まれました。 あ、そうそう。 お布施袋の左上に「○○寺 △△上人」と お勤めしてくださるお坊さんの名前を書くのですが。 6人いる中でお一人だけ、尼僧さまがお見えになったので なんて書けばいいのだろうと思っていたら。 尼僧様の場合は「○○寺 ***法尼」と書けばいいと教えてもらいました。 一個賢くなりました。
さて、今回葬儀を行ったこの葬儀場。 他にもびっくりするような演出が待っていました。 葬儀開始20分前。 突然会場から聞こえてきた、ヴァイオリンの生演奏。 何事だ!?と見に行くと、なんと黒のワンピースに身を包んだ 女性が、ヴァイオリンを奏でているではありませんか!! それをBGMにおしゃべりに花が咲く弔問客。 …誰も演奏聞いてない!!(はわわ) ちなみに葬儀開始直前まで続きました。 そして、昨日の通夜の席でもあったキャンドルセレモニー。 ありましたよ、今回も。 焼香台の上に設置された、大き目のキャンドル2本に火を灯すというセレモニー。 私と妹で行いました。 まず、スタッフさんから点灯用キャンドルを受け取った妹が 片一方のろうそくに火をつけて、 それを私に手渡して私が残りにつける。 それだけです。 そんなご大層にやるようなことじゃないと思う…。 どうでもいいのですが、二人でならんだ時に後ろの一般弔問の方の席から 「お姉さんの貞子ちゃん(私のこと)の方が、背が小さい」という声が聞こえました。 はっはっはー。
余 計 な お 世 話 で す。
こ、これだからご老人は…!!
まぁそんなことありつつも、 ろうそくに火をつけ終わったら、葬儀開始です。 ここからは普通の葬儀でした。 ところで、うちは浄土宗なのですが、 同じ浄土宗でもやはり地方差というか内容に特色はあるのでしょうかね。 儀式の中に、ちんどんじゃらーと楽器を鳴らす場面があるのです。 それを以前母方の祖母(関西在住)が見たときに、 「面白いことしよるね」といっていたので。 どうなんでしょう。 ちなみにちんどんじゃらーっっていうのは、 本当の呼び名は知らないのですが、 シンバル、太鼓、鐘にそれぞれ似た和楽器を 読経にあわせてお坊様がたが鳴らしているのを形容しているだけです。 今回は「かたそで」(字がわからん)といって、 略式でお坊様6名で行われたのですが、 祖父の葬儀の時は「りょうそで」といって本式で行ったので、 総勢8名によるちんどんじゃらーはそれはそれは、 …うるさかった。 地域的なものなんでしょうかね??
ちなみに、うちは喪主であるオヤジが偏屈なため、 来賓の指名焼香も弔電紹介もしませんでした。 ぶっちゃけ、来賓招待してないのになぜか席の一番前にいるしww (当然、席も設けなかったのですがね) というか、祖母にはそういう方たちでなくて、 それこそ生前親しく、仲良くしてくださった方が一人でも多く 最後のお別れにきてくださるほうが 喜ぶと思いました。
さて、葬儀も無事終了し導師さまが退場された後、 出棺準備と思いきや、再びヴァイオリン登場。 そして「ふるさと」と「さくら」の音色に乗って 故人との思い出と別れを惜しみましょうと、 また演奏が始まる。 「ふるさと」はまだいいとして、 「さくら」はなんだか正月のような気分にさせられてしまいました。 演奏してくださった方には大変悪いけど、 …もう、勘弁してくれ。orz
演奏終了後、やっと最後のお別れ。 棺の蓋をあけ、みなさんの手によってお花が一杯に 祖母に手向けられる。 生前好きだった、オレンジ(切り身)と苺も入れられる。 よくわからんが、好きだったからいいか。 従姉がお土産に買ってきたTシャツよく見たら、 値札付いてるし。 ま、いっか。あっちで値札とって着てね。(爆)
そして、出棺。 えーっとなぜか、棺を担いでいた私と妹。 近くに居た従兄のおにいちゃんに代われと目配せしたが、 華麗にスルーされました★ををい!! 父は霊柩車の助手席に、遺族はマイクロバスへ乗り込んで火葬場へ。 さてこのマイクロバスがですね、超安全運転…。 恐らく、通常30分ほどでいける場所が、約1時間かかりました…。 わかるし、当たり前だと思うけど、正直しんどい…!!
火葬場では、最後の読経とお線香を手向けた後、 いよいよ炉の中へ。 安全上の理由で炉の近くまでは、 5名までしかいけないのですが長女の特権か、 今回最後の瞬間まで近くに居る事が出来ました。 扉が閉まるのを待って、 後は焼き上がり(他になんていえばいいのやら)を 控え室で待つことに。 これも地域差があるようですが、 ここらへんは大体1時間半〜2時間程度のようです。 その間、飲み食いをして時間を潰すのですが、 当日はご不幸のおうちが多かったらしく、 焼き場はフル稼働っぽかったです。
焼き上がりを報せるアナウンスが入って、 ぞろぞろと指定された収骨室へ入っていくと、 モーター音とともにすっかり影も形もなくなった遺骨が運ばれてきました。 じーさんの時はまだ冷め切っていなくて(ここの焼き場は自然冷却といっていた)、 ぶすぶすと白い煙が上がってまさに人骨!!と言う感じが生々しく残っていたのですが、 祖母は身体が小さい上骨も痩せてしまっていたみたいで、 殆ど崩れてしまっていました。 お舎利さんも、職員さんが探すのに一苦労するほどです。 入れ歯の基礎が出てきたときは、若干苦笑。 職員さんの指示に従って、父と母が最初の骨を入れた後、 下から上の順番で骨を入れて、まず分骨する分を納めました。 それから、骨壷にまた下から上、つまり足から上がっていって徐々に 上半身にいくようにとお骨を詰めていくのですが、 職員さんいわく、骨壷のなかで人間の身体が出来るように入れていく、ということでした。 えっと、つまり底に足の骨、つぎに脛、太もも、骨盤、肋骨、と上がっていくわけです。 だけど、皆さん遠慮されて足の骨ばっかいれるので、 骨盤とかが余ってた。(失笑) 思わず、背骨を拾っていれましたよ!! ほ、他の骨も、入れてあげてください…!! 中には、頭の骨をいれろっていってんのに、 肋骨拾う人も居て、もー。 これには職員さん、苦笑。
とはいえ、無事お骨も納め終わり、 再びバスに乗って葬儀場はまた同じ時間をかけて戻る。 小さくなっちゃったなぁ、と流石にしんみりとしましたが、 初七日の最中、眠くてうとうとしていた私。(酷) となりのとなりでは、風邪気味の母が半分寝てました。 その後お食事を振る舞い、すべて片付けて家に帰ってきたのは 夜の8時でした。 な、長かった…。
結論、人が死ぬって言うのは現実問題として、 残された人への負担が大きい、という実感でした。 そりゃ、何十年と生きてきたのですから、 持っていたものや背負っていたものは多いですわなー。 それを処分していかなければいけないのですから、 残された人は、大変だ。
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