| 2007年03月25日(日) |
葬式狂走曲 通夜編。 |
まさに、この字のごとく過ぎていきました。 あんまり、悲しいとかそういうのはないので、 まぁ、葬式レポートみたいな感じで読んでください。 読みたくない人はスルー推奨。
自宅での仮通夜を終えて翌日、4時に出棺の予定だったのですが、 その前に納棺をしなければいけないと言うので 3時半ごろから納棺の儀(葬祭屋さんいわく)をしました。 伯母が死に化粧をした後に、 まず、足袋から始まり脚反(この字であってる??)、手甲、 使っていた数珠を持たせ、前かけの順で 遺族が二人一組になってつけていきました。 祖母の遺体はコンクリートサイズの ブロックのドライアイスで冷却してあった所為か、 触ったらめちゃくちゃ冷たかった。 まさかあんなデケェドライアイスが布の下に隠れているとは誰も気づくまいて。 あ、あと死後硬直ってほんっとに固いんですね。 数珠を親指に引っ掛けてといわれましたが、 引っ掛けられねーよ。手を組んだまま固まってるんだもん!! 無理やり動かしましたよ。
アレはお顔が隠れるというので最近はしないことが多いそうなんですが、 うちは三角の布もしました。 コントとかで幽霊がよく額に三角の白い布をつけてますよね。 アレです。 正直、しなくてもいいとおもいました、私も。 (だってドリf…ゲフン)
まだ、袈裟があったんですがここで一旦、遺体を棺へ。 流石に一人じゃ無理なのでここは、男性陣で納めていただきました。 で、葬儀屋さんが手際よくざくざくとドライアイスとガーゼを詰め終えると、 さらに袈裟を掛け、腰紐を腰の位置に来るように置いて完了。 後は故人の大切だったものや一緒に入れるもの、 祖母の場合は日舞の時に使っていた舞扇に着物、 さらに従姉のハネムーン土産のTシャツなどを入れて蓋を閉めました。 祖母は病院でパジャマのまま自宅に戻ってきたので、 そのまま棺の中にパジャマ(…)のまま入ってしまったのですが、 恐らくそれは状況とか葬儀屋さんの手配によって代わると思いました。 既に死んだ祖父の場合は、既に病院で納棺から全て終わらせて 自宅に戻ってきたので。様々ですね。
そして、いよいよ葬儀場へ向けて出棺。 やっぱりこれも男衆によって外へかつぎ出され、運ばれてゆきました。 父は喪主なので運搬車の助手席に乗って行き、 私たちは後から自宅の車で行きました。
葬儀場に付いたら、棺を安置してまず焼香をしました。 それからお世話していただける葬儀場のスタッフの方の紹介。 お茶や進行の方、支配人のほかに、 セレモニーアシスタントという女性スタッフがいらして、 その方がいろいろと式の最中に指示を下さるということでした。 しかし、このセレモニーアシスタントさん。 ぱっと見、葬儀場の職員さんには見えない制服をお召しになっていて、 まるでコンパニオンガールもしくはキャビンアテンダントさんのよう…。 …葬儀屋さんも大変なようです。
後はおおまかな流れやセッティングは葬儀場の方にまかせればいいハズだったのですが、 まぁ、そこはいろいろございまして 早々と駆けつけてくださる方をお迎えしたり、 なぜかお布施袋に名前を入れたり、 遠くから来る妹を迎えにいったり、 買出しにいったりとばたばたしてました。 さらに私は伯母と一緒に通夜式前にお経を上げてくださる 安寿さま(尼僧さま)をお迎えに車を飛ばすことに。 私は一体いつになったら落ち着けるのか。
安寿さまをお迎えした後、19時より御通夜開始。 と、思ったら、その前にそこの葬儀場オリジナルの 「奉灯(ほうとう)の儀」という、 キャンドルを浮かべた水の入ったワイングラスを祭壇の横にあつらえた 台へ遺族が置いていく、というセレモニーがありまして。 うーーーん、正直私はいらない、と思いました。 や、宗派は関係なく葬儀場オリジナルだというのですが、 こういう演出はちょっと過剰かなあ…と。 とっても綺麗なんですけどね。 まかせっきりだとこういうこともあるので、ちょっと考えものだと思いました。
御通夜自体は1時間ほどで終了しました。 私は安寿さまをまたお寺へお送りするため一度外へ。 その間に、棺は一旦親族控え室へ移して、 遺族一同でご飯を食べていました。 ちなみに部屋の都合で私ら姉弟だけ別室で隔離状態。(笑) 妹が折り紙を見つけたので、 孫一同で折鶴を折り、棺に飾る事にしました。 夜も遅くなり、親戚の方たちには明日も手伝っていただくという事で お礼を行って帰宅していただきました。
その夜はずっと父が留守番してくれました。 私は妹と自宅へ帰り、ぐっすりと眠りました。 家をまるっきり空けるというわけにも行かないので。
しかし、そこの葬儀場は至れり尽くせりで。 「明日の朝食に」と宿直のおじさんがパンまで持って来てくれた時には、 驚きました…。 超熟だった。(笑)
そして明日へ続く。
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