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2011年08月04日(木) 遊山涸沢山鯨(ゆさん・からさわ・やま「で」くじら) 2/2



 先月7月の最終週北アルプス涸沢にいた。
天才政治家西村眞悟夫婦、三文画家夫婦、助っ人強力(ごうりき)大陸(米国・アフリカ)浪人愛国者一人の異色の取り合わせ。
別にサミッター、としてでもピークハントを目的とした山行きでもなく、涸沢の懐にいて酒が飲めるぞーの山旅であった。

 梅雨明け十日はもう無くなったのではないか。二年前の上高地涸沢も雨の合間の移動、去年の新穂高槍平もバケツひっくり返したような大雨だった。いずれも七月最終週だった。
今年は台風一過後でもあり、お山は晴天だと思いきやぐずぐずと変化を繰り返す不安定な天気が続いた。腕時計の気圧計は下方グラフは振り切れていた。
だが、ひと言「楽しかった」に尽きた。

 最初、酒を一人で涸沢にあげるつもりだった。日本酒一升、赤白ワイン四ℓ、焼酎一升、シャンペン一本、特別の赤ワイン一本、スコッチ年代もん、他。これに非常食・行動食 衣服他が加わる。山での修業時代は既に終えて久しい。苦痛を伴うのは本懐ではない。
楽しくて楽しくてしょうがないといけない。

 そこで愛国者ゴーリキいしばし(仮名)を思いついた。二年前北アルプス入門を終へ、今年は奥穂ということで、そこらのオッサンを連れて行くなら、助っ人等いらないが、次の国政を担う重要な人を、荷物でへとへとになった個人が何かあった時に対処出来ないと思った事もあって、ひょっとしたらアフリカ行きを決めていたかもしれないゴーリキいしばし(仮名)に声をかけた。
ゴーリキいしばし(仮名)は不言実行の人である。
大震災直後、すぐ東北に入って、数日の間、家の中にたまった汚泥をかき出しくみ出し続け、何食わぬ顔でまた会社に戻っている。また、過去靖国神社を清掃し、奉賛した。
 来てもらって本当によかった。今回ゴーリキいしばし(仮名)の収穫は、かって、下りが得意と言っていたが、実は荷を背負った場合、登りより下りの方がしんどいと言う事がわかった事だと思う。より登山の真髄がわかったと思う。遭難も下りの時に多く起きる。

 曇り空の中、横尾の小屋八時前に出発、涸沢2300メートルの小屋に着いたのは午後一時前、涸沢カールの雪は、二週間前には例年より多いと言う情報があったにもかかわらず、行ってみるとヒュッテ、小屋に続く登山路にはほとんど雪はなかった。
なくても、アイゼンを試す事は付けた事のないものにとっては良い経験になるので付けて雪面を歩いてもらった。

 西村御大は、数十年前に冬の前穂で死にかけている。若い頃にそういう経験を持った人は又格別なものがあるんだと思う。
今写っている写真を見ていると、清々しい顔をしている。これだけでも今回の山行きは大成功だと感じた。
 小屋前のデッキで小屋売りのジョッキビールから始めて持って来た全主類の酒を飲んだ。
シャンペンはゴーリキいしばし(仮名)が、雪渓に穴を堀り埋めてしばし冷やしておいた。何かにかこつけ二度三度乾杯した。

 山鯨と言えば猪(いのしし)の事だが、今回、山でほんまもんの鯨を酒の肴にすべく、
あの傲慢無礼者集団シーシェパードが勝手に住み着いている和歌山太地の鯨屋のおっちゃんから送ってもらった鯨の皮と、鯨の珍々、通称’たける’を持って上がった。
腐らしてしまうのを覚悟で持って行ったが、厚さ10センチ縦30横20センチほどの発泡スチロールの箱に一杯の保冷剤を入れ、途中泊の山小屋で、保冷剤の半分を冷凍庫に入れてもらい、継ぎ足して上がった。小屋前で開けた時に既に二日経っていたがまだ凍っていた。
見事、それは二千メートル雲上の酒の肴となった。本わさびも持って上がり卸して供した。
ちなみに鯨の珍々をポン酢で和えたのを鯨の「ちんぽん(珍宝ん)」と言う。
例えばこういう楽しみを方していた椎名誠の怪しい探検隊というのがあったが、そのメンバーの一人だった写真家の岡田昇は目の前の冬の奥穂高の向こう側槍平方面に下山中に行方不明となり今だ遺体は見つかっていない事を思いだしていた。

 眼前の前穂六峰、一番奥の三つのピークはガスで見えなかったが、反対側遠く常念岳は見えた。
 宴たけなわ、一人のおっさんが思いつめたように寄って来た。あの人は西村御大か?と言うような事を聞くのでそうだと答えると、破顔一笑、言葉が溢れ出た。御大はぶれない、俺は支持する…云々。

 夕飯食ってそろそろ律儀な登山者が眠りにつく頃、ゴーリキ、我々夫婦、何故か御大奥さん参加、外の軒下テーブルにて宴会第二弾。
御大酔い多分心地よい疲労感で部屋にて爆睡の模様。無理もないと思った。政治政局思い、現政権に怒髪天を突き、ために神経すり減らし、辺り味方も多けりゃ敵もそれに上回るくらいいるだろう。胆力無しにはやれる仕事ではないと改めて思う。しかも二千メートルは数十年ぶり、若かりし頃と体形も大部変化してしまっている。この高さは酔いが回るのも速い。

 ほの暗くなったこの席に、先ほどのおっさんが来て、我が夫婦をぼろくそ全否定するも、あんまりそのいいかたがおもろくて、腹をよじらせて笑いすぎて高度のせいもあったと思うが息継ぎが出来なくなって酸欠一歩手前で死にかけた。
ここ十年、あんなに笑った事はなかった。

 しかし、このおっさん、いい所があって、最近の山小屋は酒と言えどなんでも売って居て大吟醸酒迄用意されている、その一番高価な奴を御大に飲んでくれと持って来たらしい。
 ぼろくそ言われたけど、うまい酒をお相伴に預かったので許す。何をぼろかす言われたかと言うと、「あんたみたいな猿に何でこんな美人の嫁はんが来るんや!おかしい!」てな事を延々抜かし続けた。喜んでいいのか怒っていいのか、東京人の軽妙洒脱な言い方に笑い転げてしまったと言う訳だった。
 ほんまに笑い死ぬかと思った位笑った。

 翌朝ゴーリキは早朝片道ベテランで1、5時間の所、難なく二時間で上がり、十一時には小屋に帰って来た。ゴーリキいしばし出発の後、ヘリが一機奥穂方面に飛んで、一人が堕ちたと言う情報が山小屋に届いた。
どんなベテランでも堕ちる時は堕ちる。ましてや北アルプスは初心者、もしもの時の事を考えて頭に思いがめぐった。堕ちた本人意識があるのかないのか、小屋番に聞いても埒が明かない。わからない。
数時間後それは杞憂に終わったが、心配した。そして昼近く、それぞれの思いを胸に山を後にした。

 山行きを終えて現在、西村御大は仲間達と精力的に駅前に立ち、ビラを配り挨拶している様子。そのエネルギーはすごい。これを書く間迄に時事通信すでに三、四信。

これからも、合間を縫って「山で酒」に同道したいと思った。また行こな、眞悟さん。






















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