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2007年08月15日(水) 敗戦決定の日



 だーれも大臣達靖國参拝行かないのか?
この前の新聞に、安倍首相が、21日だかにインド訪問をする際に東京裁判で判事を務めたラダビノード・パール氏の長男と会談すると読んで、ああ、やっぱり安倍首相は近現代史に於いて、ある確信を持っている首相だなと嬉しかったが、ならば、以前のように当然今日の日も参拝はして当然だと思うが、どうなる事か。

三島由紀夫が書いていた。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままいったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。
それでもいいと思っている人達と、わたしは口をきく気にもなれなくなっているのである」

 この人達が我々で、自分の半径十メートル位の事しか考えられない我々は、国防や日本の行く先などは問題とせず、年金と大臣のスキャンダルで選挙に行く。大新聞は日本つぶしに精出し、中枢部には日本人の顔した外国人が巣くい、それを罰する法律も無い。
故山本夏彦じゃないけれど、女に選挙権はいらない、ついでに男にもいらないという箴言に深く同意する。

 昔の貴族院みたいなのをつくって候補選挙民共々近現代史の最低の知識の試験、候補はどんなに他国が悪く言っても、はっきりと「日本」を擁護出来る事、犯罪を犯した息子を持つ母親のごとしの感覚を持ち、さらに一票投ずる権利がそれでも欲しいなら、金を払って持つことにすりゃいい。個人で試験されて、金を払ってまで一票投じたいなんて奇特な人そこらにはなかなかいないだろうから、必然投票人の質は高くなる。

 我々口をききたくない人々は投票しぱなっしで、責を問われない。
責を問われないくらい気楽なものは無い。評論家と同じである。しかし評論家はやがてメディアからお呼びがかからなくなるのでやはり問われているのである。一人、有権者だけが問われない。

 フランスに次いで、世界中で国民国家成立二番手が明治の日本である事は、フランスの思想家が書いている。 王や独裁者に替わって国民が運営する国であれば、当然みなで、国を外敵から守る義務が出てくる。みな平等に兵役につく。これが本来の徴兵制である。自分だけ手を汚さないで、兵を志願制にして、志願してきた組織を忌み嫌い、ついぞ報道しない見ないのが三島由紀夫の口もききたくない人達、我々である。


だからもうずいぶん前から、匙投げている。


ラダビノード・パール(インド人)… 東京裁判において当時唯一の国際法専門家


京都霊山護國神社内にある、パール博士顕彰碑(この写真部分が靖國神社にもある)


以下パール博士の言葉

「日本は国際法に照らして無罪である」

「大東亜戦争は日本は無罪である。欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人である。
     田中正明著『パール博士の日本無罪論』(慧文社)

「日本の教育書は子弟に「日本は侵略の暴挙をした」「犯罪を犯した」と教えている 日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、退廃に流されてゆくのを、平然と見過ごす訳には行かない。」



→2002年の今日のたん譚











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