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2007年08月10日(金) *ヒューミント



「日本での工作は完了した。」もと北朝鮮の工作員だか向こうの幹部だかがそう公言して憚らないと聞いていた。
まさか、完了したは言い過ぎだろうと思っていたら、日本の公安調査庁の頂点の人物が、真面目な顔で北朝鮮擁護をぶっていたのに驚いた。人権派の弁護士の親玉も似たようなことを言っていた。
 自衛隊二十数万の隊員のうち、中国製の嫁さんが100人を超すという。これを見たら、本当に日本への工作は完了したと言われてもしょうがない。
日本人は特殊な情報というものに対して無関心無節操な面がある。先の戦争の始まり、最中、終りすべての局面であった。これは今に始まった事ではないのだ。

 大東亜戦争の始まった、特に米国との戦いでは、米国は日本の事をぜーんぶお見通しだった。この時、日本側の暗号パープル、津、はすでに完全に破られていた(税関吏に成り済ました諜報員や、大使館に泥棒に入ったFBIが解読コードを盗んだ)。にもかかわらず、真珠湾は壊滅的打撃を受ける。
なぜか。ハワイの米軍は先制攻撃を知らなかった。米本土が見殺しにしたのである。時の海軍大将キンメルには何も知らされてなかった。
アングロサクソンはこういう事はよくやるらしい。
 
 英軍が独軍の暗号を破って、明日にも人口数万の英パーミンガムの東、コヴェントリー の町に爆撃があるという情報を持っていたが、暗号を破ったという事実を知られたくないとは言へ、コヴェントリー の住民を犠牲にした。(米国が広島長崎原爆投下の正当化に後何百万の日本人を助けるため落としたとの、へ理屈にも通ずる所がある)
真珠湾攻撃もこれと同じ人身御供である。前の将軍は先制攻撃をさせる事を聞いて、部下のことを思い反対して更迭され、その後に来たのが何も知らされていないキンメル大将だった。

情報を守るためにここまでやる。 
そうして、罠を仕掛けて置いて網にかかるともう大義名分(米国は自分からは戦争をしないが仕掛けられたら話は別)は出来た。堂々と戦争に持ちこめる。してやったりである。

 一方日本はどうか。わが帝國海軍は大将自ら禁じられている時間帯もかまわず無線で頻繁に交信し、それは全て米国に記録され泳がされ(海軍だけに…。)ていた。

 撃墜王の坂井三郎が南洋に置いて戦う最後の一機の零戦(れいせん)も失い、横須賀に着いた時、町には音楽が流れ、ごく普通の世間の空気であった事に、今まで血みどろで戦ってきた現場とのあまりの相違に拍子抜けしている。
 その国鉄横須賀線には戦時中にも関わらず、米国人が平然と乗っていた。「日本の情報を得るには、汽車に乗ると良い、乗っている将校クラスのがぺらぺら喋っている」ので簡単だと書いていた。

 硫黄島のアメリカ版実録映画の中でも、捕まった捕虜があそことあそこに穴があると、一本の煙草でべらべら喋る(日本人として出兵していた朝鮮人は、日本国に「強制連行された」と、字幕だかナレーションだかが入っていた。当時日本人として誇りを持って戦地に臨んでいた朝鮮人がそんな事言う分けないのだが、ここにも情報の操作が入っている)。ちなみに最初に白旗揚げて出て行ったのは朝鮮人である。

 今来ている映画、300(スリーハンドレッド)の中にも興味深いシーンがある。スパルタ三百とペルシャ百万の軍の戦いを描いたものだが、これを終始スパルタは日本、ペルシャはアメリカと置き換えて見ると面白い。

 スパルタには七つの掟があり、その最初の一つに、
「戦えない子は谷底に捨てるべし」
とあり、今なら大変な事になるが、当時はそうしなけれは、自分たちが生き残る術は無かった。映画中のスパルタの悲劇は、捨て去るべき生まれながらの傴僂(せむし)の子が、親の情から掟を破り生き永らへ成人した事にある。
その子は人一倍、スパルタである事を誇りに思い、ペルシャとの戦いに志願するも、隊長に盾を頭上高く持ち上げてみよと言われ、身体的に出来ない事を悟る。冷徹に断られるや、この傴僂はペルシャに寝返るのである。

 歴史に残る、このテルモピュライの戦いは、ルーブル美術館にある巨大な作品「ナポレオンの戴冠式(約、縦六メートル横十メートル)」を描いたダビッド(ジャック・ルイ・ダビデ)も描いている。 
 
 この戦いは、スパルタの選ばれた戦士300名の特攻である。主権維持の尊守とブライドを持ち、背水の陣の戦いを戦う兵は強い。
ペルシャ百万(映画では)と言えども、一度にかかってはこられない。(日本の武士の戦闘でも、一人によってたかっては戦えない。お互いの刀が邪魔になり、味方が負傷する。戦いは矢→槍→剣の順)海岸線にある、峡谷(幅が狭く、両側が切り立った崖からなる谷)を利用してそこで迎え撃つ。

バッタバッタと切り倒し、屍骸で波打ち際から、峡谷の入り口まで高さ十メートル位の壁を作ってしまう(映画デス)。
 無敵とも思えた戦法も、先の傴僂が持っていた崖の抜け道の情報を、自分の安楽との引き換えにペルシャに渡してしまうことで、一歩も引かない覚悟のスパルタの戦士は玉砕してしまう。傴僂のたった一つの情報で、あっという間に形勢逆転してしまった。

「スパイのためのハンドブック」の著者、ウォルフガング・ロッツと言う人がいる。イスラエル建国時に、軍に入隊、モサドにいた。後、エジプトで工作活動し、最後には夫婦共々捕まり、エジプト政府の釈放条件が、何とエジプト人捕虜五千人との交換であった。しかし、最後までイスラエルのスパイである事はばれなかったようだ。かくも情報は大事な物なのだ。
 スパイ防止法は必要だ。

ヒューミント 「ヒューマン・インテリジェンス(human inteligence」の略語
『リーダーズ英和辞典第二版』(研究社)では「〔特に重要な事柄の〕情報」「諜報(機関)」「(秘密)情報部」の訳語

モサド(モサッド(מוסד)秘密諜報組織…
1972年9月5日早朝、オリンピック会場内のイスラエル選手村に、武装した黒い九月のメンバー8名が乱入し、イスラエル人選手とコーチの2名を殺害し、残りの9名を人質に取った。これの報復として モサドはテロリストを一人づつ暗殺して行く。この過程は、スピルバーグの映画「ミュンヘン」に詳しい。

 











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