目次過去未来


2006年10月18日(水) 台湾は台湾でいたいわん



 今月の初め遅い夏休みをかねて台湾に行った。猫がこの九月で人年齢で言うと百歳を迎えた。もう耳も目も、ほとんど聞こえないし見えない。本来なら、ドイツのオーケストラに勤める夫君をもつ友人に会いに行く事にしていたのだが、猫があまりに歳取っているため十日間の旅行はとても望めなく、かといって休みなしではへたってしまうので、4・5日で行って帰ってこられる所と言えば「台湾(殆ど日本語でも通った。)」ということで決めた。
 
 向こうにいる間、タクシーの運転手にそれとなく(もし外省人だったらまずいので)台湾は中国かと聞いてみたら、「台湾は台湾、言葉も中国語と台湾語とは違う」ときっぱりいった。確かに、「ありがとう」も、中国語(北京語)は「謝謝 シェシェ」だが、台湾語は「感謝 カムシャ」だし、「美味しい」は、台「眞好呻 チンホーチャッ」中「好吃 ハオツー」、「いくらですか」は、台「若多銭 ゴワツェージー」、中「多少銭 トゥオ サオ チェン」と似ているものもあるが、多く違う。出来るだけ台湾語でと意識した。台湾は大丈夫だ。独立の気概はある。

 基本的に観光旅行はしないので、名所旧跡・神社仏閣には行かない。今回は茶商を訪ねた。台湾が日本だった頃、日本の富士山をしのぐ最高峰という事から、新高山(にいたかやま 標高3952m−明治天皇命名−現名は玉山)と名付けられた山があり、その山系に阿里山があってそこに行きたかったが、まだ台湾新幹線が開通(この十月開通予定だった)しておらず、今回は見送った。
 その山の中腹で採れるお茶の一つに、阿里山金萱茶というのがあり大人気だが需要と供給のバランスが完全に崩れていて、それゆえに市井に出ているもの日本で売られているもののほとんどがニセモノで、かってその特徴ある直線的香りに幾度も騙された。
しかし茶商自体が勉強不足でニセモノと知ってか知らずか売っている事もある上に、客もブランドを妄信して買ってしまう。茶商だけを非難出来ないのだ。最近では何と出自を科学的に判別出来るキット(DNA鑑定が出来る薬品が塗られた綿棒)まで売られている。
ニセモノは少し場数を踏めば見抜けるようになる。日本の有名漫画家の「台湾論」本中に紹介された茶商もこの茶に関する限り、店頭で出て来たものは一口飲んで真っ赤なニセモノとわかった。法外な値段がつけられていないことがまだ救いであった。普通百グラムだと六千円くらいの値がつく。
弁護ではないが、ここの文山包種茶はよかった。花香が心地よい。

 いろいろ調べている内に、阿里山の茶農家が台北に出店を持っているという事を知って訪ねて行った。店主の女主人は、一目見て明らかに朝鮮中国日本系の顔とは違う顔立ちの人で、聞けば阿里山に住む高砂族だという。「高砂」族命名は日本らしい。 
 話している内少し意気投合して後、高砂族は昔ここに流れ着いた日本人を一杯殺したねというと,「あれは悪い高砂族! 高金素梅と同じ」という。突然、「高金素梅」という名前が飛び出してびっくりした。元俳優・歌手で現在無所属の中華民国立法委員で有名人らしいが、日本では、靖国神社の前で、国内にいる反日的な日本人と共に、靖国反対を叫んだ、お騒がせ女である。
かって台湾が日本だった時、戦時先頭に立って活躍した高砂義勇兵の顕彰碑を、大日本帝国を殊更賛美していると碑撤去運動を近年起こし、ついに撤去させた。
父は外省人(中国本土の人)で、母は高砂族のタイヤル族、本人は北京の民族大学を出ている。下半身スキャンダルで有名で、マスコミには「誹聞天后」(お騒がせ女王)と揶揄されている。  
この「高金素梅」はわるい高砂族だというのである。
話の中で、高砂族の中にもええのと悪いのが存在するらしい事が分かった。高砂族と言っても、政府認定されているのが、十族くらいで、非認定の*平埔族といわれる部族が十数族いる。合わせて四十万人くらいいるという。ここまで細分された民族とは何だろうか。よくわからなくなってくる。

 故宮博物院の多くの展示物は、台湾の歴史ではない。支那の歴代王朝の変遷の遺物である。蒋介石が逃げる時に支那本土から持って来た。
一番見たかったものが一つあった。それだけのために故宮博物院にいったようなものであった。
そこでこの写真。これは何でしょう。


これはどう見たって豚の角煮「東坡肉(トンポーロー)」だ。
北宋代の政治家で詩人書家でもあった、蘇東坡(そとうば 本名は蘇軾・そしょく)の発明料理とされるところから、その名を取って、東坡肉といわれる。
この写真は「肉形石」と呼ばれて、清の時代のものである。
職人の手がちょっと加えられて、着色されたりはしているが、殆ど、もとの石の味わいを残しているという。
これは、自然が創ったスーパーリアリズムである。
絵画や彫刻(立体)のスーパーリアリズムはアメリカから始まったが、たん譚自身の絵は、別にこの流れが無くても、写真のように描くと言う嗜好は既に持っていた。ルーブルにある古典絵画の写実にもびっくりしたが、真似をしようとは思わなかった。
単発だが、スーパーリアリズムが「清」の時代に置いてすでにあったことに驚いたが、よく考えてみると、エアブラシ(絵の具を吹き付けて描画する技法)も、すでに単発ではあるが、太古の洞窟に麦わら(ストロー)を使って、口に含んだ絵の具を吹き付けて絵を描いた痕跡がある。  
 清は女直(女真)族でいまの漢族とは違う。満洲族である。後の満洲帝国は、*ロシアを実質発展させたモンゴルのチンギスハーンの孫バトゥと同じく、満洲帝国は後の漢族支那に、バトゥの*「黄金のオルド」は 十九世紀白系ロシアに歴史から抹殺されてしまった。
そう言うわけで、支那何千年はすごいなどとというつもりは毛頭ない。別な民族の別な文化、芸術品である。
それにしても見れば見る程面白い。ずうっと見ていると腹が減る。その日の夜は、杭州料理と決まった。勿論「東坡肉」をたべるためであった。


*平埔族…
台湾島の平地に住み漢化が進んだ原住民を「平埔蕃(へいほばん)−平埔族−」と呼び、特に漢化が進んだ原住民は「熟蕃」と呼ばれた。同時期に、漢化が進んでいない原住民を「生蕃(せいばん)−高砂族(たかさごぞく−)と呼んだ。

*ロシア
九世紀にルーシ(スカンディナヴィアのノルマン人を指す)のリューリク三兄弟がノヴゴロドやキェフの町を支配したのが、「ロシア」のはじまり。 リューリク家の諸侯はチンギス家の皇女たちと競って婚姻、ハーンの娘婿としての特権を享受。ロシア正教会も、モンゴル人の保護を受けて発展。以後の数百年問はモンゴルが支配。
十九世紀に愛国主義的なロシア国民学派の歴史家がロシア史を書き換え改竄
モンゴルによる統治を「タタール(ロシア人のモンゴル人呼称)の軛(くびき」と呼び、忌み嫌った。

*「黄金のオルド」…
ヴォルガ河畔の移動式の大天幕に住むモンゴルの遊牧王権を「黄金のオルド(帳殿)」と呼んだ。
「黄金のオルド」はロシア史上はじめて戸口調査を実施し、駅伝を監督し税金を徴収する代官を置いた。一五五二年、イヴァン雷帝(四世)は、「最後の大ハーン」アフメドの曾孫をツァーリ(ロシア皇帝)の位に就け、自分はこれに臣事して、翌年あらためて彼から譲位を受けてツァーリとなった。これでモスクワ大公は「黄金のオルド」の継承者の一人となり、ロシア皇帝はこれ以後、モンゴル人から「白いハーン」(チャガン・ハーン)と呼ばれることになった。


参考文献: 世界史の中の満洲帝国 宮脇淳子 PHP新書




→2001年の今日のたん譚
→2003年の今日のたん譚
→2005年の今日のたん譚










myrte21 |MAILHomePage