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2006年05月06日(土) 印度・アンド・インディア −其の一



 2002年、印度と日本は国交回復した。
印度のガンジーはすでに知られているが、もう一人印度独立の父で、武闘派と言われているチャンドラ・ボーズがいる。武闘派と言うと何だか聞こえが悪いが、お題目を唱えていれば「平和」「独立」が勝ち取れると信じている人達とはちがい、武器には、武器を持って立ち上がり、自分達の主権を確立すると言うのが武闘派である。

 ではずっと英国の植民地であった印度になぜチャンドラ・ボーズのような人が出現したか。
日本人を見たからである。東洋の小国が、当時の大国ロシア相手に日本海海戦でほぼ全滅させたのをきっかけに、その後、大東亜戦争緒戦時、マレー・シンガポールでは、要塞に立て込もった英印軍十数万も、その三分一の日本軍にあっさり突破された。
インドネシアでも、五万人の英・蘭・豪の連合軍が立てこもった、バンドン要塞をわずか七百数十名の日本軍が降参させた。この降参した兵の中に、映画にもなった「戦場のメリークリスマス」を書いた、バン・デル・ポストがいた。

 みっともない動物(ニコライ二世)、「黄色くて臭い足曲がり猿(オランダ人「ピンネルの日記」)」、「東洋の黄色いちび猿」に、何百年我々を支配して来たご主人様の英国人やフランス人が、降伏して手を上げ逃げ惑う姿を、印度を初めとするアジアの人々は目のあたりにし、そのことに衝撃を受ける。チャンドラボーズもその一人であった。
 ベトナムでは、「東遊」という運動が興る。東遊というのは、「なんで、日本人がそれをなし得たか、答えは日本にある、東京にはすでに中国人・朝鮮人・インド人学生があふれている、我々(ベトナム人)も日本に行き、学べ」と言う運動であった。

 朝日新聞などがことあるごとに、アジアの国々に迷惑をかけたと言うような事はないのである。戦った相手は、アジアにいた、英国であり、オランダであり、フランスアメリカであった。

これは印度からの感謝状である。


われわれインド国民軍将兵は、インドを解放
するために共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した曰本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表わします。インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます。

1998年1月20日

於ニューデリー

インド国民軍大尉 S.S.ヤダバ(インド国民軍全国在郷軍人会代表)

日本語訳:加瀬英明
 コピー提供 印度親善訪問団主催 ガンジー財団、チャンネル桜



参考文献: *情報鎖国・日本  高山正之 廣済堂










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