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2005年08月11日(木) 下山



登山ではない。文字通り富山駅からバスで一挙に室堂まで行き、北アルプス立山室堂から下山した。年一回の親類の集いが、今年は弥陀原高原だったので、せっかくだから,現地集合ということにしてもらって、歩いた。

 室堂は、大にぎわいで人でごった返していた。
天狗小屋の情報によると、日本人の登山客は少なく、台湾人の団体観光客が非常に多いとの事で、実際に台湾語が飛び交っていた。大陸の支那人の金持ちは「登山」なんか金輪際しないだろう。何の得もない事を金だしてするわけがない。その点、台湾人は感覚が日本人とよく似て、俳句も嗜む。
 ごった返す室堂を後にして、かってガウランド(「日本アルプス」呼称の命名者)、アーネスト・サトウ(英国領事館書記官 後、公使、は幕末富山湾から見た立山連峰の勇姿に感動して、外人で初めて書き留め紹介した。)や、ウォルター・ウエストン(英国山岳協会会員、牧師。 上高地に碑がある)が苦労して歩いた旧道をとった。

 ガイド本には、役行者(えんのぎょうじゃ)が祈祷した修験道の道は整備され推奨されているが、選んだ旧道は、X… 現在不通とかいてあった。
 が、地図をよく読むと、森林地帯だし、急峻な岩峰群があるわけでもなし、廃道になっていれば、学生時代によくやったように、強引に林道に向かって降りればいい。
そう思って決行した。
 何年も山から遠ざかっていたので、登りなしの最初からの下山は膝にこたえた。だけれど、それにも増して、深山を歩く楽しさは言葉に表しようがない。木のざわめき、鳥のさえずり、岩間をぬって流れる沢の音、深い靄、適度の緊張感。旧道には人っこひとりいない。静謐そのものだ。

 熊に出くわした時にあわてないように、心の準備をして歩いた。4・5時間の短い山歩きだったが、終盤近く、旧道を来る小学生10人位が一組になった3組とすれ違った。前後を指導員が挟み登っていった。
すれ違いざま、それぞれがこちらに挨拶してくれる。
「こんにちは」
「ありがとうございます」
山では登り優先なので、こちらは、端によけて通り過ぎるのを待つ、その時に言ってくれる。いい子達だった。
ほどなく,弥陀が原に出、ホテルに入った。

 翌日は、美女平のブナ林滯を歩き、巨木の下で,ひんやりした微風を感じながら、おむすびを食べ、立山を後にした。













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