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今は昔、物事がわかるまで、戦争は無条件に悪、日本悪、他、無意識の内に否定的な見方をしていた時期があった。多くは今でもそうだろう。 だから、相変わらず首相はこの日に及んで、「近隣諸国に迷惑かけました、もう戦争は起こしません」などと談話して自己満足している。あまりな歴史認識の無知である。
先の戦争のきっかけ、アメリカからの最後通牒、俗にいう、「ハル・ノート」はハルが書いたものではなく、ハリーホワイト(財務省次官補)という、米政府内部に深く入り込んだ、共産主義者でソ連のスパイだった人物によって書かれた事がわかっている。もちろん、日米を戦わせ、相殺させて共産主義を広めるために。当のハルはいやがっていたらしい。後に「こんなめちゃくちゃなもの(ハル・ノート)を突きつけられたら、小国のモナコ公国でも宣戦布告するだろう」といっている。
戦争を始めた、張本人で悪党のように思われている、日本側の首相で大将でもあった、東条英機は最後の最後まで戦争回避のために動いていた事もわかって来た(東条英機供述調書。GHQはこれを発禁処分第一号にして,日本人の目に触れないようにした。最近本になって出た)。
時のアメリカの最高司令官、マッカーサーは昭和26年五月三日、米軍上院軍事外交合同委員会で、はっきりと、「日本が戦争を始めたのは、侵略ではなく、自国の安全保障のための防衛戦争であった」と証言している。
小泉首相は、これらの事を知ってもなを、世界中に悪かったと言い続けるのか。
今年、日露戦争100周年、大東亜戦争60周年。先人達のご苦労を偲び、15日靖国参拝した。靖国神社では、西村真悟さんの呼びかけた人達に混じって、正式に昇殿し参拝した。
普段はネクタイを締める事少なく、ほとんど真夏のネクタイ・ジャケット姿は、拷問に近かったが、やむにやまれぬ開戦で、死んでいった人達を思うと、不思議と数時間炎天下のもと(昇殿は社内)でも耐えられた。昇殿参拝が終わり、階段を下りたところで、お神酒が配られた。東京の真ん中とは思えない、蝉時雨の中でいただいたお神酒は、深く胃の腑と心にしみた。
午後からの記念行事で、終戦後日本に帰らずインドネシア独立のために戦った(映画「ムルディカ(独立)17805」を見るといい。ちなみに、独立記念碑に彫られているこの17805の意味は、日本に感謝して、日本の皇紀「2605(=西暦1945年)8月17日」から、日・月・年で書かれている。)、日本兵(インドネシアでは英雄として祭られている)とともに義勇軍幼年兵として一緒に国のために戦ったアイマド・ダマさんも参拝に来られていて、飛び入りで壇上に立たれた。これを我が国の首相はどう思うのか、聞いてみたい。
8/16 午後 たん譚に載せてから、少し書き換えました。
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