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2003年12月26日(金) 新走(しんわす)



 先月になるが、国防の会(京都支部)が出来たというので、最初スイスの「民間防衛」のようなものかと期待していったが、まだまだそんなレベルではなくて、イラク派遣の事や、学者の防衛論みたいなものに終始した。

 北朝鮮が攻めてくると仮定したら、具体的に日本海側のどこそこの何という村、町に上陸と言うことになる。そこに上陸された場合、民間として何をどうすればよいかと言う風なことを、具体的に示唆したものが、スイスの各家庭に配られている、「民間防衛」という小冊子である。
そう言う話かとおもったがそうではなかった。京都は多分工作員が多数いるだろう。工作員達はいったん事があれば、いらぬ噂や、嘘の情報を故意に流すだろう、そういう時に、民間人はどうすればいいか?
そういう話をするものだと思って聞きに行ったが、対岸の火事を眺めて話している感じで、失望して帰ってきた。

 他日、図書館に行き、映画ラスト・サムライがきっかけで、新・旧武士道の違いについて、もう一度、勉強し直す準備。
例えば、赤穂浪士をめぐって、旧武士道と新武士道のぶつかりがある。
大石内蔵助はお家再興のために最後まで討ち入りに反対していたが、江戸にいた堀部安兵衛は討ち入り積極派だった。

 幕府の大学頭林鳳岡(はやしほうこう)は浪士が主君の仇を討ったことは「忠義」であり、武士道の鑑であるとして浪士擁護論を展開(旧武士道 葉隠れ武士道的)。
これに対し儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)は浪士の行為は公儀の判決をするものであり、決して「忠義」などではない、これを認めれば天下の法は権威を失う(法を規範とした新武士道)という。「義」をとるか「法」をとるか。 新渡戸稲造の武士道は後者。などなど

 また他日、狂言鑑賞 茂山千作 本当に楽し。愉快。客席ほぼ満員。20数年ぶりという曲が演じられた。前解説、狂言こぼれ話の折り、言葉狩りの影響ここまで狂言師に気を使わせる世の中はおかしい。「小僧(こぞう)」がよくないらしい。以下どうするの?

小僧寿し、しょんべん小僧 、ひざ小僧、ねずみ小僧、弁天小僧. 小僧の神様(志賀 直哉の小説 )
 あらため、少年寿し、しょんべん少年、ひざ少年、ねずみ少年、弁天少年、少年の神様 だったらいいのか!?

 この調子で、どんどん言葉狩りをしていけば、どうなるか?
遠慮せずどんどん当時の曲を演じてもらいたいものだ。
教科書から漱石が消えたのも、鴎外が消えたのも、全部自分で自分の首を絞めた結果にすぎない。こういうのを「たわけ!」という。
漱石には差別語と称される言葉が出てくる。鴎外の文章はむづかしすぎるそうで、これだって、現代仮名遣いにしたせい(二葉亭四迷にも責任がある。文語文から口語文 -言文一致-にした張本人)で、過去と今日を自分達で断絶させて置いて読めなくして、だから捨てるという。おおたわけである。

某夜、割烹料理店にて、京芋(海老芋)の揚げたやつに葛でとろみを付けたものをいただく。美味。ふと見ると二つ向こうに、岡本一平(岡本太郎の父)描くところの夏目漱石のような和服を着た西洋親父。おや、さまになっていると顔を見れば、、版画家クリフトン・カーフさんであった。聞けば金沢と京都に住み行き来しているのだそうであった。京都もさぞかし彫り描く景色が少なくなってきたことだろう。










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