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先日、大阪梅田スカイビルに、有本さん夫婦と、北朝鮮拉致を初めて報道した産経新聞社の阿部雅美(現在はサンケイスポーツの編集局長)さん他の講演会があったので出かけた。 前にこのスカイビルの空中庭園という謳い文句にだまされ、幾ばくかの料金を払いてっぺんまで行った。案に相違してなにもない。てっきり、最上階は木があり、緑有りの、庭園があると思っていたら、何だか、放送があり、訳の分からない、白いガス(霧か雲のつもりか?)が足元にまかれてお仕舞い。
係りの人に、どこに庭園があるのですかと聞いたら、らしきものは、地上にありますという。なんだ、入場料損した。屋上の殺風景をもって、空中庭園と呼ぶ無神経情緒欠落はどうだろう。ただの屋上じゃねえか! だからここの印象はよろしくない。
話を元に戻すと、そこの西翼の建物の三十何階かの会議場で講演はあった。有本さんも、この間のテレビで(故障前だったので見られた)北朝鮮拉致を初めて新聞報道したと有名になった阿部記者も、もう良く知られた存在だったし、あちらこちらで喋られているので、新しい情報は何もなかった。が、最前列にお座りになっていた、一婦人の紹介を進行の人がし、その婦人が客席に向けて、「家の娘は婚約・結婚が決まっていたのに、忽然と姿を消しました。それ以来十数年になります」といって、涙を抑えながら震える声でおっしゃった。そして、拉致された家族会にも入れず、宙ぶらりんの状態だともおっしゃった。
拉致とも、そうでないとも、生きているのか死んでいるのかもわからない状態の十数年は、横田めぐみさんの母上が、「死んでいるならそれなりの心の持ち方がある、だけどどっちかわからないというのが一番つらい」と言われるように、今現在、拉致されて、死んでいるのか生きているのか分からない、宙ぶらりんの人達は百人以上いると言われている。
二十数年前、映画会社に勤める友人の知人がいなくなった。 その頃、南禅寺の山門の前や、河原町で、イラストやプレートを修学旅行生相手に売っていたところに、一台のタクシーが止まって、先の友人が降りてきた。 その後から、中年の女の人が降りて来て、友人と共に「この人知らないか」と写真を見せる。その女の人は、写真の若い男の人の母親だった。聞けば、立命館大学の学生で、下宿もそのままに、こつ然と姿を消したと言う。 その時は、今日の拉致事件など思いもよらなく、よくある蒸発だろう位にしか思わなかった。その事があってからも、南禅寺界隈でも探されてるのを見かけた。
そして、その蒸発が、拉致であったと分かったのは、実にここ数年の事で、拉致被害者のリストの中に、その人の略歴などが載っていて、忘れかけていた、あの時の事を思い出して、初めてそうだったのかと分かったのである。だから拉致事件とは、多少関わりがある。
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