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2003年05月20日(火) 史上最低の横綱



 相撲が好きで毎日見ている。夢は枡席で、枡席の客についてくる、お楽しみ袋の中に入っている焼き鳥と、持参の銘酒でいっぱいやりながら、観戦することである。金さえ払えばできるぢぁないかと言いなさんな。
見る側にも格がいるのである。相撲は単なる格闘技ではない。背後に日本の歴史を背負っている。こちらも、自分に、それ相応にふさわしい容貌と迫力が出たと見たら直ちに実行する。若造に見えてしまう自分が枡席なぞ百年早い(と思っている)。
なにせ最近の高画質のテレビは、観客の顔の表情、立ち居振る舞いの全部が見えてしまうのである。
中にほれぼれする貫禄のある中年紳士初老紳士、あでやかな着物姿の夫人がいる、外国人がいる。
時には天皇が御観戦される。世界中探したってこういう興業はない。

 昨日もBSで太い方バージョン(なぜかBS1とBS2では、同じカメラだと思われるのに、片チャンネルは太めに、もう一方はほっそり写るのだ。だから綺麗なお姉さんがニュースを読み上げるときには、ほっそりバージョンで見てあげている)で、横綱朝青龍(あさしょうりゅう)と同郷の旭鷲山(きょくしゅうざん)との取り組みを見て非常に不愉快になった。
朝青龍がはたき込まれて旭鷲山が勝った、その直後の横綱の態度である。旭鷲山側の土俵にうつ伏せに倒れて起きあがり、自分の陣に帰るときに、旭鷲山と肩が触れた。
そしたら振り返って、怒りをあらわにし、町のちんぴらのように、眼を飛ばし睨み付け、さがりで旭鷲山をはたいた。まるで喧嘩である。ボクシングの試合には時々ある。相撲には絶えてなかった。
本当に不愉快であった。かって貴の花が満身創痍で、武蔵丸に勝ったとき、唯一「よし!」というすごい形相をしたのが印象に残るくらい、横綱が表情を露わにするのはめずらしく、又はしてはならないとされている。この場合は自分に対しての気合いであると、見ていて、武蔵丸に対して行ったものではないと誰の目にも明かであった。
 が、この度、負けた相手に目で威嚇するなぞ、もうそれだけで横綱失格である。本来、横綱は名誉職で、相撲取りの最高位は「大関」でお仕舞い。そこが終着点であった。それでもなを、心・技・体に優れた人を「横綱」としたのだ。外国の格闘技にみる、ただ強ければチャンピオンという訳にはいかなかった。
昨日の取り組み前にも、これまた同郷の力士を押し出した後、勝ちが明らかなのに、土俵下で突き飛ばすと言う行為に出て、後であやまったりしている。
 旭鷲山もかって、勝敗が決して土俵際で負け力士が力を抜いているのに、土俵下に突き飛ばしている行為を何度も見た。その旭鷲山が今は「人前でああいう行為はやっちゃいけないね」といっている。
この人は往年の力はすでにないが、相撲がわかっている立派な力士である。朝青龍の師匠が「人間的にまだまだ…」とテレビで言っているのを聞いて、始め謙遜で言っているのかと思っていたら、本当のことを言っていたのだと今になってわかった。
今までの横綱の中で、最も相応しくない横綱である。力士は、相撲学校に通い、基礎を勉強する。なぜ相撲学校で教えないのだろう。










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