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先日、久しぶりに年下の友人達と集まる事があった。彼等はいつも日本の事を憂いている。ただ憂いているだけではなくて、ちゃんと行動も伴っている。教科書を新しく作り直すという会の幹事をしている。 その一人から、ビデオを何十本か進呈するという話があり、とてもそんな数のビデオは見る時間もないので、メールで映画名を一覧にしてもらった。 その中に、「スターリングラード」があった。これは、下の淡譚(5月05日)に書いた日独が同盟関係にあった時の、ソ連側の独ソ攻防戦中の話で、実在の人物で英雄に祭り上げられた、天才狙撃兵バシリの物語りである。これを含め、数本もらったのだけれど、ここでまた情け無い病気が出た? 読んだり見たりした本や映画のタイトルをほぼ完全に忘れてしまうことだ。
今回も、戦記もの以外のもらった三本全部すでに見ていたものだった。多分題名がぼんやり頭の隅に残っているのに誘引されて、無意識に選んだにちがいない。もらって解説を読み、再生して数分で愕然としてしまうのである。 「スターリングラード」に戻る。 スターリングラードはボルガ川沿いにある都市で、ヒトラーは当時のスターリンの名を冠した都市を落とすことに威信をかけていた。独裁者と全体主義者の戦いで、映画と言えども、事実に基づいた展開は、本を読む以上にその時の兵隊の様やスターリンが主導する、共産主義の怖さが至るところに出てくる。 最前線で、一人置きに銃を渡し偶数番目の兵隊は弾丸だけを握らされ、前の兵隊が倒れたらその銃を取り、突撃する。そんな突撃だから、ドイツの強力な重火器にかなうわけがない。ほぼ突撃兵の全部がやられそうになり、不利と見た兵隊は退却しようとする。 そうしたら、ソ連兵はソ連兵に向かって機銃掃射して、只でさえ貴重な兵を殺してしまうのである。敵前逃亡は、どこの国も軍規に反し軍法会議に後かけられるが、自国兵を片端から殺してしまうのは、過去支那の南京攻防戦で、日本軍から逃げる支那兵同士でそれがあった、それを見て、日本人兵士が驚いている記録が残っている。 主人公バシリは、ドイツ軍の、狙撃兵の雄(メーニッヒ)と渡り合い、最期には勝つが、世話になっていた家の小さい息子や、友人が犠牲になる。ソ連の立場から描かれたものだけれど、この映画の優れた点は、いかに戦争が悲惨なものかという陳腐な事を言っているのではなくて、戦下に生きる人達、身近に死を見つめて生きる人達の「生」の輝きは、ある意味、平和下で、我欲の塊と化した人々より輝いているということがわかる仕掛けになっている事だ。 総入れ歯のある老狙撃兵は、まだドイツ・ソ連が同盟国だった頃、ドイツに軍事留学を命じられ留学中に、ドイツの侵攻で状況が変わる。帰ってくるとスパイ扱いされ拷問を受け、前歯を全部折ってしまったと語る。そして「騙されるんじゃない、幸せを築く社会主義の紛れもない現実さ」と言いながらも飄々としている。バシリの友人で兵隊を高揚させるための新聞を書いている友人は、ドイツ文学に興味があり、ゲーテが好きなようだった。この友人も、ドイツ狙撃兵がどこにいるかバシリにわからせるために、犠牲になる。世話になっている家の、父のない子供は、敵兵と懇意になり情報を取ってくる。それはやがて発覚し、殺される。 こういう事は、どこの国の戦争下に置いても起こりうることである。ただ、共産主義やファシズムの下の戦争、すなわち道徳(人間性)を欠いた戦いというのは、人にとってまったく不毛なものだと言える。 米国が一人の傷ついた兵士を助ける事に全力を尽くす事が、映画(プライベート・ライアンやブラックホークダウン他)などでいろいろ作るられるのも、戦っているのは日々地味に暮らし、事あって志願した人々、徴兵された人々が、基本となって国が成り立っているという事を示す(忘れない)ためでもある。イラクでの救出劇の映画化も同じである。
自国の兵に自国の軍が武器を向けるような体制は、遠からず崩壊するだろう。では他(国人)ならいいのかということになるが、それが健全な精神だろう、ゆえに健全というのはいやなものだと、山本夏彦はいっている
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