目次|過去|未来
来週、広島の天満屋デパートで個展があり、東京の画商あて、家から、数十点の作品をクロネコヤマト便(宅急便の一つ上)を頼んだ。 よくクロネコ宅急便は取りに来てもらっている。今回もその延長のつもりで頼んだのだけれど、なんととりに来たのは、小柄な、まだ女子大生の面影を残した女の子。 四つからなる荷物の荷姿をみて、まずとまどった。額入りの梱包の一つは二十数キロあり、絶対一人で持ち上がらない。 この時の、彼女の情け無い顔、どう考えたって強がったって動かせないのは一目瞭然。不可解なのは、なぜ彼女は、軽い部の宅急便ではなく、ヤマト便という所に配置されたのかである。平和の時代の男女平等論からきたのだろう。 結局、自分でヤマトの車まで運び、車に乗せた。彼女一人では絶対持ち上がらない。
これと似たことが、自衛隊でも起こっている。入隊して潜水部隊に入ったはいいけれど、重い装備で海からボートにはい上がる際、女の細腕では自らの体も引き上げられない。他の隊員が二人係で、その女隊員を引き上げるのである。はっきりいって秒を争う時にそんな事をしていたら敵に狙われて全滅である。 だから女がどの領域にもしゃしゃり出てくるのは反対である。オサマ・ビン・ラディンが、Tシャツの下にくっきり乳房を透かせて、横柄に林檎を囓り囓り、銃を片手にする米国女兵士に烈火のごとく怒った、この点だけは同意出来る。女は女の持っている優しい母性をいかした職業に就いて欲しい。 戦争や力仕事は男のものだ。女が戦争などにしゃしゃり出てくると、ろくな事にならない、昔アマゾネスという女戦闘集団がいたが、アマゾネスというのは、「乳を切り取った」と言う意味があり、すなわち男のようにという意味がある。 田島洋子・福島瑞穂などがその急先鋒である。
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