目次|過去|未来
出来の悪いわが子が人を殺して犯罪者になったら、重吉孝一郎裁判長に審判してもらおう。山口県光市の新日本製鐵社宅で、当時18の男が最初から性的暴行を加えるために侵入し殺した後暴行、横で泣いていた生後11カ月の赤ちゃんを床に叩き付け!殺した。この男は、牢獄の中から友人に向けて、実に正気の沙汰と思えない手紙を書いている。 「そこにいる犬に暴行して何が悪い」 「選ばれしものは何をしても良い」「また同じ事をするかもしれない」と。もっとひどい文が続くが、これはキチガイである。 これに関して、手紙の中に最近少し「反省の文が見られる??」から無期懲役にしたとしげきちは言う。 まちがってはいけない。無期とは死ぬまでと言う意味ではない。期限がないということ、情状酌量によって5年で出てくるかもしれないのだ。
生後間もない子供を床に叩き付けて殺すような人格と、反省は結びつかない。人を殺した後で、「反省」などというピントはずれな言葉は意味がない。やったことに関して言いあらわせる言葉があるとしたら、消極的な.「後悔」しているという言葉しかないだろう。一遍、アメリカの裁判官にその「反省」と言う言葉を言って見ろ!概念が無い上に、ピントがずれてるから、目を白黒させるだろう。裁判は理で詰めていくもので、大岡さばきはゆるされないのだ。
死刑の怖さは、いつくるかしれないその日に怯えながら暮らすことにある。だからこそ、意味があるのに、人権派団体は犯罪者の人権をいう。人権はイデオロギーであり、そこにあるのものではない。人権は神の下で等しく人である権利、フランスならば税金を払っている国民にある。日本は神を棄てて人権だけ真似した。
敵討ちか死刑、もしくは犯行をおこなった子の父母が責任をとって自害する。それしか世間は納得しないだろう。
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