| 2005年06月14日(火) |
心を病むということはどういうことだろう |
最初に断ります。 愚痴になります。 不景気な話ですなぁ。
先々週から、会社でお手伝いに来てもらっている外注さんが、休みがちになりました。 そしてとうとう今日、「対人関係において、精神的にまいっている状態で、仕事を継続するのが難しい状況である」と、彼の上司から、うちの上司にきたメールを見せてもらいました。
パソコン業界は、そういった心を病むことが原因で、職場を去る人が多い業種の中の一つです。
ですが。 今回は、それだけで済ませられそうにないです。 多分原因の一翼を、わたしが担っています。
もちろんいじめたりとか、そういうことをしたわけではありません。 休みがちの時でさえ、来たときには、塩野七生さんの本の話で盛り上がったり、関係は良好・・・だと、わたしは思っていました。
考えられるのが、わたしが2−3、彼に対して注意をしたことにあると思います。
わたしだって、何が悲しくて5つも上の男性に、
「仕事中長時間携帯をいじる場合は、席を外すなりしたほうが良いですよ」
「そちらの会社は知りませんが、うちの会社は午後からといったら、13時からになりますので、お給料削られても契約を確認しておいたほうがよいですよ」
とか言わなくちゃいけないんだとは思いましたよ・・・orz
頻繁に携帯メールを打ち(本人は業務だといっているけれど、それとは別に仕事でWebメール使ってるのに、わざわざ誤解されるようなことをする必要があるのか理解出来ない)、その時間も10・15分は平気ですし、
頻繁に休んだり、午前休して、あげく午後は3時くらいから来る。
それで仕事が遅れて、帰りが遅くなるけど、外注さん一人残すわけいかないから、その監視で残業する身にもなれってことで、つい注意したんですけどね・・・。
別に自分だけに責任があったなんて気は、毛頭ありません。 相手だって、今まで自分の意思で生きてきた人間ですから、その人間にそこまで影響力があるとうぬぼれるつもりもありません。
ただ、こういった心の病に対して、もう少し勉強しないといけないな、と後悔するのです。
どんな些細な事でも、怒鳴りつけたのではなく、軽くたしなめるくらいのものでも、「注意された」という事実に耐えられない人がかなり増えているのと、強く実感するのです。
誰が悪い、なにが悪いという概念的なものではなく、そういう人間がいる以上、上手く付き合って行く方法をお互いが歩み寄って学ばなければいけないんじゃないかな、と感じているわけです。
これはゲームの台詞ですが、「無知は武器になりはするけれど、盾にはならない」ですから(うろ覚え)。 (MELTYBLOODから。きのこさんは、こういう台詞がさらっと書けちゃうからすごいよなぁ)
携帯で頻繁に誰かとつながっていないと、精神が保てない状態だったのかもしれませんし、 鬱が出ると、なかなか仕事に出られないとかあったかもしれません。
それでもなんとか復帰しだい来ていたのに、もっと早く来いとかいわれたら、そういう気持ちを想像すると、とても哀れに思えます。
ただ、普通に接している分には、そういう兆候がみられなかったんですよね。 休みがちだな、という程度で。
病であることを、正しく理解しない者の目で傷つけられてきて、言えなくなっていて、隠して生きているのかもしれません。 (自覚がないってのもあるかもしれませんが)
けれど、「理解されないから言わない」のであれば、それこそ永遠に理解なんてされないのです。 知らなくて理解出来なかったと、傷つく者が他にいるかもしれないということを知って欲しいのです。
わたしはわたしの人生を生きるしかないので、同じ底まで落ちて行って、同じ目線で理解してあげることは出来ません。 わたしはわたしの井戸、 あなたはあなたの井戸の中で生きている。
だけれど、井戸を覗いて、そこから手を引くことが出来るし、足りないものを桶に入れて降ろしてあげることも出来ると思うのです。
だから、そこにいると。 どういう状態でそこから出られないのか、せめて声をあげてくれないと、なにも知らないまま、通りすぎてしまうかもしれないし、ふときまぐれで、誰もいないと思って石を投げ入れてしまっているかもしれないのです。
・・・ああ。 でもただ理解したいだけ、なら それはただの自己満足になるのかなぁ・・・。
上手くやっていきたいだけなのに、どうしてそんな些細な願いが、叶いにくい世の中なのでしょうね。
とりあえずは、もう少し勉強してから、ですね。 今は未だ仕事が忙しいので難しいですが、もう少し時間が出来たら・・・。 同じ後悔を、しませんように。
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