オクラホマ・スティルウォーターから

2004年05月12日(水) 天国と地獄

 来週の土曜日は補習校で運動会がある。運動会で流れる曲に、確か「天国と地獄」(序曲)があったような気がするが、それを聞くと、何だか運動会の気分になる、というのは何とかの犬の原理みたいで、ある胃腸薬のCMに長年そして必ずかかっているクラシックの曲も、その曲を別の場所で聞いて、「あっ、○○胃酸」と思って笑ってしまうのは不思議だ。

 ところで、トルコと日本には共通の文化や考え方があっても、違うところがあるのは当たり前で、一番大きく感じる違いは、宗教的なものだと思う。ネジャーティはトルコなので、イスラムの影響が大きいのだが、この前読んだ「ものがたり風土記」にも書かれていた肉食に対する考えの違い、を改めて実感した。

 前も確かネジャーティとそんな話題になったのだが、イスラム教もキリスト教も同じ神で、神が人間を作って、それ以外は人間のためにあるものだから、人間と動物の命には違いがある(もちろん人間の方が上)というもの。それで、人間は死んだ後に天国か地獄のどちらかに行くことになっていて、生まれ変わるというのはない。
 
 でも、仏教が広く伝わった国では、何回も生まれ変わるものとなっていて、もしかしたら前世は犬だったかもしれないし、今は人間でももしかしたら今度は牛になってるかもしれないし(ぐうたらだったら?>牛に失礼か・・・)、それプラス日本では菅原道真みたいに神に祀られることもあったりするが(祀られた本人が神になったかどうかは知る由もないが)、どんな命でも同じようにに考える、というのが普通かな(でも昆虫はどうかな?)。

 それで、動物に対する考え方が違う、というのはそれでいいや、と思ったのだが、どうも、死んだ後に天国か地獄に行く、という二者択一の選択(選ばれる側として)はあまりにも極端すぎるし、その後ずっとこれから何十年、何百年といて、飽きないかなと思ってしまったのだった。

 もしそうでなくて、何回も生まれ変わるとすると、死んでからいちいち天国と地獄に行かなくてもいいのではないか、と思ったのだった。第一、慌しい(多分)。それに、天国を見る、とか、地獄を見る、とかいう表現があるぐらいで、生きていく方がよっぽど大変なのに、その後にどちらに行くか選択される、って余計なお世話だ。

 そう、あの「天国と地獄」序曲のようにめまぐるしく自分の中に天国や地獄を見る、というのが近いと思う。


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