オクラホマ・スティルウォーターから

2003年11月19日(水) 明治は遠くになりにけり

 昨日は暖かくて暖房を消して寝たが、それでも暖かすぎるからか、寝つきが悪く、明け方まで、眠れなかった。

 日本から持ってきている数少ない小説になぜか「坊っちゃん」があって、それを読んでいたら、もう今は使わないという言葉もあったが(簡単が「単簡」と書かれていた)、それでも書かれた時代からどんどん遠ざかっているわりには、言葉も内容も十分通じるものだった。何年経っても、人間の不変的な部分というのはあるんだなあと思った。

 日本の歴史から言うと、明治は新しいのだが、実際の生活の中では、明治は遠くになりにけり、で、明治時代の前半に生まれた人というのはもう存在しない。

 私の世代だと慶応生まれの人というのをぎりぎり知っていて、その一人、長寿世界一だった泉重千代さんは有名だ。徳之島の五つ子ちゃん(「ちゃん」といっても、もう20代になっていると思うが)の名付け親にもなった人だと思うが、今となってはもちろん慶応生まれの人はいないし、この前亡くなった長寿世界一の方でさえ、約25年前に亡くなった私の祖父と1歳しか違わなかった。

 当たり前のことだが、何万人と生まれたであろう、その年代の人が一人も残っていないということである。そして、明治生まれの人口もだんだん少なくなっていっている。5年前に93歳で亡くなった祖母でさえ、明治38年生まれだったから、明治の最後の年に生まれた人というのは91歳だ。大正生まれでも90歳に届いている。そして、計算してびっくりしたのは、昭和一桁生まれでも70代で、もうすぐ80歳に届こうとしていることだ。昭和生まれの80歳というのはとても考えにくい。

 自分が還暦になるころには、明治生まれの人というのはもういないのかもしれない。明治生まれの人は明治生まれの人たちで、同じように思ったかもしれない。

 私の年代が80代になっている頃には、年号もあと一つぐらい増えているだろうし、同じように、「昭和は遠くになりにけり」なんて言われてしまうのだろう。

 世代はどんどん変わっていくんやなあ。


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