オクラホマ・スティルウォーターから

2002年02月19日(火) メール

 最近嬉しかったことと言えば、数年ぶりに大学の同窓生Aちゃんとメールで連絡ができたことだ。Aちゃんは三島の地元出身で、大学のクラスでも同じで、ゼミも一緒になり、ゼミでは数少ない女子学生の一人だ(12人のうち女子は3人しかいなかった)。
 
 大学を出て、Aちゃんは東京に就職して、私は三島に残っていたので、休みぐらいに会う機会があったか、それも確かじゃないが、2年後には私は実家に戻ったので、会う機会はそれで途絶えてしまった。

 今みたいにメールがあれば、気軽に連絡が取り合えるが、当時はメールがなくて、電話だと電話代もかかるし、なかなかつかまらないし、というので、卒業以降の友人との連絡といえば手紙が多かった。

 地震があった年にフロリダの語学学校に行ったが、日本の友人とのやり取りは手紙が主流だった。返事がすぐ書けるわけじゃないし、書いても友人に届くのが1週間かかるから、友人が書いてから返事が届くまでには1ヶ月近くかかるというのんびりしたものだった。

 語学学校の先生の奥さんが私の会話パートナーで、一度お宅にお邪魔したことがあったが、先生がEメール(アメリカではEメールという)をチェックするといったので、「Eメールって何ですか?」と聞いたことがあった。メールの存在すら知らなかった。そういえば大学の語学研修時代の先生からもメールアドレスが書いてある手紙が来て、何のことだかさっぱりわからなかったが、それでやっとわかったという感じだった。

 語学学校を終えて次の年に正式に院に入ったが、メールのやり取りは当たり前、コンピューターにあるワープロ機能を使って、宿題を提出するのが普通に行われている光景を見て驚いたものである。当時日本ではコンピューターは会社の人が使うか、よっぽど限られた人が使っていたという感じだった。日本でコンピューターを触ったことがなかった。

 今はコンピューターがある家も多く、私の周りではメールアドレスを持ってない人を探すのが難しいぐらいだ。どこに住んでいるかを気にせず、手紙より早く返事ができるなんて、メールは本当にありがたい。


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