2001年08月15日(水)
靖国神社参拝
さて、今日は、終戦記念日。
日本では、この時期になると、色々と話題になるのが、靖国神社公式参拝問題。 このたびも首相が公式に参拝するが、これに対しての賛否両論が盛り上がる。 戦犯を祀っているとか、戦死した兵士たちを祭っているとかで、色々意見が分かれる。 私としては、別に戦死者を慰霊するするのは、別に問題はないとおもっている。 日本の未来のためと信じ込んで亡くなっていった人たちの霊を慰めるのはいい事だとおもう。
でも、おれは、首相の靖国神社公式参拝は反対である。
理由は、明らかに政教分離の精神から逸脱しているからである。 日本は、第二次世界大戦で政府が宗教(神道)を利用する事によって、全国民を戦争へと導いた。それがどんな結果になったかは、歴史がかたっている。 日本の惨敗である。この時、人の心を救うはずの宗教が、人の生命を疎かにするものに変わった。信じる気持が、生命より上と信じられていたからだ。天皇、日本を信じる事は、生命より大切だと。そのおかげで、特攻隊、虐殺、玉砕と言う奇行が生まれた。日本の敗北の原因の一つは、神道利用の支配が、全国民のほとんどを盲目にしたといっても過言ではない。
よって、戦後、日本は宗教を政治に取り込む事は、絶対的なタブーとした。これが政教分離である。おれは、これは世界的にも進んだ機能だとおもう。宗教の自由は認めるが、政治が宗教を利用する事を禁止する。ある意味、平和を保つとしてもっとも有効な方法だとおもう。 実際、今世界で紛争が起きているところは、宗教による対立を背景とした物が多い。イスラエルとパレスチナ、セルビア、ユーゴといった具合。どれも、政府が民族的な宗教を背景として成り立っているからである。それを考える政教分離は一歩進んだ方針だとおもう。
だが、靖国神社は立派な宗教だ。神道の一部に入る。国の代表者が国の代表者としてこの宗教に対しての参拝することは、明らかに政治の宗教利用となる。せっかくの政教分離の方針を壊してしまうからだ。 われわれは、過去を教訓として未来へ進まないといけない。ある意味、国が狂気に走るような要因は、押さえておいた方がいいともう。
というわけで、私は首相の靖国神社公式参拝は反対である。
ちなみに、個人参拝は勝手にしてくださいとも思っている。
これらは、あくまでも俺の意見です。 他の方々はどう思われますか?
終戦記念日、戦争に対する犠牲者に対して冥福を祈り、また、二度と戦争の犠牲者が出ない事を願います。
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hisa(nabe)
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