西方見聞録...マルコ

 

 

レ・ミゼラブル - 2012年12月28日(金)

 はい、こんな大ヒット上映中の大作映画を映画館で見てしまうなんて〜と恥らいつつも、年末のどさくさに紛れて行ってきましたよ。これで年明けの講義準備と原稿締め切りの火の車は確定だ!
 

 なんかわたくしの関係者の複数回路でものすごい推薦者の熱い声がこだましてたので、それとその回路の一つの映画の師匠の某様がFBで紹介していたこの映像をみて、ふ〜ん、これは今年頑張った私のご褒美に行ってもいいんじゃないか、と思って行ってきました。

 で、ようございました。

 私カルチュラルリテラシー(Hirsch,1987)の大変低いことに実はレ・ミゼラブルという作品がどういう話か知らなかったので、ちょっとどうなっちゃうの?ここでジャンバルジャンは捕まっちゃうの?とか全編大変ドキドキしながら見させていただきました。現代人として珍しい人かもしれません。そりゃパンを盗んで長い年月投獄されたとか、部分的には知ってたんだけどさ。あ、20数年前、島田歌穂がつくば市市歌をうたった関係で市主催の島田歌穂コンサートに行ってエポニーヌの片思いの絶唱を聞いて当時、報われない片思い中だったので、なんか片思いの悲しみと美学に心をゆすぶられたなんていう私的経験はございました。


 で、ここからが感想なんですが、6月暴動からそのあとにかけてのジャベール刑事の姿が私にはこの物語のキモに思えました。

 この物語は正義(=神に近づく道)とは「法の遵守である」とするジャベール刑事と正義(=神に近づく道)とは「よるべきなき者への庇護」であるとするジャンバルジャンの2つの価値観の対決を軸に進んでいくわけでございます。

 ジャンバルジャンの<よるべきなき者への庇護>が前期が普遍的に<ひとびと>に対して行われちゃってるのに対し、後期が個別的な紐帯、つまり特定の人物への愛によってなされているなんて転換もありましたが、庇護を与え自己効力感を得ることが彼なりの神への道だという点は一貫しています。

 で、ジャベールの正義である<法の遵守>のよりどころである、その「法」は正しいのかというゆさぶりがジャベールに押し寄せます。そのゆさぶりとはジャンバルジャンに、ジャベール自身がよるべなき者として救われる場面であり、ガブローシュの死を悼み彼に自らの勲章を授けるシーンでも描かれます。

 神の道、正義と信じた「法」が時代のうねりの中で悪法という存在になるのであれば、その執行者は正義とはなりえない、という自己崩壊がジャベールに訪れることになるわけです。

 原作とずいぶん違う部分もあるようですので、原作のほうも遅ればせながらアクセスしてみたいと思います。


 そのほかコゼットを奪還したジャンバルジャンの個別の愛への目覚めの場面に、あ〜わかるわ、激難産の末に1号さんをこの手に抱いたとき世界が変わるのを自覚したけど、きっとジャンバルジャンはそういう気持ちだったのね、とかエポニーヌの片思いの絶唱は世界の片思い女子が聞くべきだ、と思ったり、まあ普遍的に人々の魂をうつ「名作」であることよと思いました。

 そんで2転3転するフランスの政治史のおかげさまで翻弄される民衆の姿が背景になってるわけですが、民衆の苦しみはその後フランスが世界に植民地を獲得し、そこからの収奪によって富を得て、貧困と混乱を植民地国へ輸出することで終焉を迎えるのだな〜とか、まあいろいろ考えながら見ました。

 お勧めです。

 

 

 


 


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